新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

不運な艶福家

 本書は、おなじみルポライター浦上伸介がアリバイ崩しに挑むシリーズの1冊。比較的初期の作品(1986年発表)で、後年相棒となる前野美保は登場しない。浦上自身も、作中29歳と紹介されている。使われている時刻表は、同年6月のものである。

 

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 長崎での取材の帰り、浦上は飛行機がとれず寝台特急「さくら」に乗ることにした。飛行機なら実質1時間30分もあれば帰れる東京に、19時間近くかけて帰ることになったわけだ。長崎駅16:32発、まだ寝台がセットされていないせいもあって、浦上は食堂車でハムサラダをつまみにビールを呑み始める。
 
 肥前山口駅18:11発、浦上のテーブルにやってきた男が、浦上と将棋の話を肴に水割りを呑み始める。二人は意気投合して杯を重ね、博多駅あたりで浦上は睡魔に襲われる。夜が明けて名古屋駅6:35、停車中ホームに出た浦上は昨夜の男と再会し写真を撮る。弁天島あたりで朝食をとった2人は、11:28東京駅に着いて別れた。
 
 その間、17:00頃には大村でひとりの女が、23:30~24:00に藤沢でもう一人の女が殺される。「Who done it」のミステリーではないから書いてしまうが、犯人は「さくら」で浦上と酒を酌み交わしていた男である。大村の事件の時には諫早の手前に、藤沢の事件の時には広島あたりにいたはずの彼が、どうやって彼女たちを殺せたかが、読者に投げかけられた謎である。
 
 この男かなりの艶福家で、妻はいるのに取引先のOLと深い関係になり、さらにクラブの女ともつきあいがある。妻以外の2人には結婚の約束をしているという始末。OLが得た多額の遺産も流用しているこの男、やり手ではある。すべてを清算しようとして考えたこの完全犯罪だが、寝台列車で作るアリバイの証人にたまたま見かけた酒好きの男浦上を選んだのが不運だったかもしれない。まさかこの男がアリバイ崩しのプロだったとは・・・。
 
 かなり複雑な寝台列車やその他の夜行列車を駆使したトリックにもかかわらず、ひねた読者はこれを見破るかもしれない。当時の時刻表が手元に戻ってくるなら、もっと興味が湧いたかもと思う。

男爵対公爵

 イギリスにシャーロック・ホームズあれば、フランスにはアルセーヌ・ルパンあり。「3世」ではない、オリジナルのルパンもので、最高傑作とされるのが本書である。作者のモーリス・ルブランは「夫婦もの」を得意とした純文学者だったが、「特別にに面白い冒険もの」をと依頼されて、1904年「アルセーヌ・ルパンの逮捕」を発表、好評を博した。

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 もともとミステリーの始祖E・A・ポーに傾倒していたこともあって、その後50余りのルパンものを残している。ルパンは、数々の変名をあやつり変装も得意な「強盗紳士」、本書ではセルニーヌ公爵と名乗って活躍する。
 
 南アフリカの大富豪ケッセルバッハ(ボーア人かな?)は、パリのアパルトマンの1フロアを借り切って新しいビジネスに取り掛かろうとしていた。ルパン一味は彼を襲い、秘密の文書と小箱を奪って去った。ルパンはケッセルバッハを縛ったまま逃走するのだが、その後ケッセルバッハは何者かに刺殺されてしまう。
 
 パリ警視庁のルノルマン保安課長は、ルパンが殺人をするはずがないと考えて捜査を開始し、ルパンの手先を捕らえるなどの活躍をする。しかし「L・M」と名乗る凶悪な殺人者は、冷酷に事件の関係者を殺していく。
 
 やがてアルテンハイム男爵という男と、その一味が捜査線上に浮かぶが、ルノルマン課長の部下グーレル警部も殺され、課長自身も行方不明になってしまう。事件は、ルパンことセルニーヌ公爵とアルテンハイム男爵の一騎打ちの様相を呈してくる。
 
 一人二役/三役が随所に出てきて、その正体がわかるときは驚くこともあるのだが、いかにも古いトリックだとも思う。ルパン自身もクールなイメージはなく、激高して部下を怒鳴ることもある。クライマックスのアルテンハイム男爵との対決シーンも、なんとなく平凡だ。
 
 学生の頃読んであまりそそられず、ルパンものはほとんど読んでいない。ストーリーも好みに合わないのだが、文体もいかにも古めかしいのが気になる。訳者はフランス文学の大御所ですが、その後忖度してか新訳に挑戦する人はいなかったようだ。翻訳が現代風に変われば、もっと読みたくなるかもしれないのですが。 

手法が固まりつつあったころ

 本書は、アガサ・クリスティーの長編8作目にあたる。このころまでに彼女は、ポアロという戯画化された外国人探偵、トミー&タペンスという若い冒険家夫婦、普通の官憲バトル警視らを主人公にした諸作を書いている。ほぼ1年1作のペースで発表してきた。

 
 1926年の第6作「アクロイド殺害事件」は、意外な犯人というテーマの究極に挑んだもので、その時点での評価は分かれていた。続く第7作「ビッグ4」は、失敗作と言われ、ある意味彼女はこの作品に再起をかけていたようだ。

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 私生活では、その間に最初の夫アーチボルド・クリスティとの仲が冷え込んで、一時期失踪事件まで起こしている。本書の登場人物にも、富豪の娘だが見かけだけいい夫とうまくいかず、W不倫に陥ったケタリング夫人、独身のまま33歳を迎え思わぬ遺産を得たキャロライン、20歳も若い二番目の夫と暮らすタンブリン子爵夫人など多くの「壊れかけた家庭」の人がいる。
 
 ロマノフ王朝が持っていたという運命のルビー「ハート・オブ・ファイア」を手に入れた億万長者のヴァン・オールディンは、娘のケタリング夫人にプレゼントするのだが、娘はニースへ向かう豪華列車「ブルートレイン」のコンパートメントで殺害され、ルビーも奪われてしまう。
 
 フランスの官憲は、ちょうど乗り合わせたポアロの助けも借りて、ケタリング夫人の不倫相手であるド・ラ・ロシュ伯爵を追求する。また、この列車に愛人と乗っていた夫人の夫も、カネに困っていたこともあって容疑者になる。
 
 ヴァン・オールディンはアメリカ人(多分オランダ系)で、爵位などは関係ないただの大金持ちなのだが、他のイギリスやフランスの登場人物は、伯爵・子爵・卿などの肩書を持っている。共通して言えるのは実はカネに困っていること。挙げ句、「侯爵」と称する強盗紳士まで登場し、20世紀前半の欧州の「格差社会」ぶりを見ることができる。
 
 米国ではヴァン・ダインが登場し、本格ミステリーの黄金時代が近づいていた。多くの競合相手に対し、クリスティは「意外な犯人」を追及することで優位を示そうとしたのだが、そのための手法はまだ確立していなかった。しかし本書で、「2人の共謀によるアリバイ作り」という手法が試され、後の名作群につながっていく。本作でのポアロは「世界一の探偵です」と自称するだけで決して冴えてはいないが、クリスティ自身は一歩、女王への道を歩み始めた。
 
 本書発表の後、アーチボルドとの離婚が正式に決まり、アガサは「ミステリーの黄金期」に向けた活動に専念できるようになります。そんなメルクマールとなる一冊でした。

プアホワイトへの道

 前作「ダブル・デュースの対決」は、ボストンの黒人貧民街を描いた作品だった。麻薬中毒の状態で生まれてくる子供、14歳で母親になる売春婦、銃をふりかざして荒れ狂う少年団など黒人社会の暗部を見せつけてくれた。ロバート・B・パーカーの次作が暴くのは一転、裕福で幸福に見える白人社会の病理である。

 

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 ボストンの実業家の妻オリヴィアが、何者かに撲殺されて2週間。通り魔の犯行として真剣に犯人探しをしない警察に腹を立てた夫が、スペンサーに犯人探しを依頼しに来る。慈善事業に熱心でパーティでのホステス役も上手にこなす良妻賢母、1男1女があるが2人とも地元の大学に通う健康でまじめな子供たちだ。彼女を悪く言う人は一人もいない。
 
 一見非の打ちどころのない彼女がなぜ殺されたのか。スペンサーは彼女の生まれ故郷アトランタに飛んで過去を探り始める。死んだと聞かされた彼女の父親は生きていて、馬場と農場を持ち何頭かの犬と老僕にかしづかれてウィスキーをなめていた。
 
 父親は「娘さんは死んだ」というスペンサーの言葉に取り合わず、「娘はいない」と繰り返すだけ。老僕から「彼の娘は黒人と結婚して縁を切られたが、アフリカで暮らしている」と聞かされたスペンサーは、ボストンで死んだのはオリヴィアの名を騙っていた同郷の女だと気づく。
 
 スペンサーにからむボストン警察の新人白人警官が面白い。有名人の子弟のようだが、ホモで愛人はHIVで死にかけている。これもまた、壊れた家庭の物語なのだ。マサチューセッツで大統領候補になろうとする上院議員を支援している実業家一家も、南部サウスカロライナの農場で暮らすオリヴィアの父親も一見裕福なのだが、その実日銭に困っている状況が見えてくる。
 
 収入が減っても暮らしのグレードダウンができないでストック資産を食いつぶすありさまが、スペンサーの調査で暴かれる。本書は1993年の発表だが、なるほどプアホワイトはこういうプロセスで生まれるのかと納得させられた。
 
 珍しく銃も撃たず、一人を殴り倒すだけで我慢したスペンサーの「犯人探し」もの。これならアルバート・サムスンでも担当できそうな事件だが、スペンサーものの中では秀作に位置づけられる評価を与えてもいいと思う。抑えて書かれている殺人犯の心情も胸を打つものですし、結局犯人を公表せずに終わるスペンサーの計らいも粋なものでした。

サムスンが挑む50年前の事件

 シリーズ第5作で著しい成長を見せたインディアナポリスの中年私立探偵アルバート・サムスンについては、しばらく前に紹介した。


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 前々作では破産状態だった彼だが、ようやく普通の暮らしを取り戻し、事件解決にも冴えを見せていた。それが本書では金に糸目は付けないという依頼人が登場し、「クリスマスを前に新しいコートを買おうか」などと悦に入っている。まあ、インディアナポリスという街も寒そうではある。
 
 裕福な銀行家ダフラス・ベルターが、今回の依頼人。20年以上連れ添った妻ポーラと初めての海外旅行に出かけようとしてパスポートを申請すると、ポーラの出生証明書が偽造だとされてしまった。僕らには考えにくいことだが、米国人は立派なビジネスマンでも、パスポートを持っていないことが多い。ベルター夫妻も50歳ほどになって留学中の息子を訪ねるために、初めてパスポート申請をしている。
 
 サムスンはポーラの出生を調べていくうちに、彼女の母親が実母ではないこと、出生地とされる建物は売春宿だったこと、そこに暮らしていたのが若いクラブ歌手だったことを突き止める。
 
 クラブ歌手デイジーは田舎からでてきて出産、子供を知りあいに預けてステージに立ち、富豪の道楽息子に見初められて結婚。子供がいることは伏せたままで、やがて養女にだしたらしい。彼女の結婚は異常性格の夫のせいで破綻、彼女は夫を射殺してしまい裁判に掛けられるが無罪となった。その後、彼女は行方をくらましている。
 
 サムスンが調査を進めるうち、認知症で入院していた「母親」が急死する。サムスンは知りあいのパウダー警部補に検死を依頼、殺人だったことがわかる。サムスンは、50年前と現在の2つの殺人事件の謎に挑むことになる。
 
 マイクル・Z・リューインの諸作は、どんどん面白くなっていきます。しかしサムスンシリーズはあと1作「豹の呼ぶ声」が残っているだけで、これがまだ手に入りません。ただパウダー警部補が主人公の3部作は買ってあります。次はそれらを読んでみましょう。