本書は1957年発表の、高木彬光の「神津恭介もの」の比較的初期の作品。戦後間もない1948年に「刺青殺人事件」でデビューした作者と名探偵のコンビは、1961年「白魔の歌」までおおむね1年に1長編のペースで発表されていたが、その後10余年の眠りにつくことになる。
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以前「名探偵らしい名探偵」として彼のことを紹介しているが、あまりにも「らしかった」ことから、作者も独自性を出しづらくなったのかもしれない。弁護士百谷泉一郎など他の主人公が、その座を奪っていった。
本書には、作者が「神のごとき名探偵」の活躍をどう描こうか悩み始めていたと思しきところが散見される。宝石店の店主夫妻が青酸系と思われる毒物で殺傷され、素行の悪い店主の弟が殺人犯として裁判にかけられた。最高裁までもつれた裁判も、「有罪=絞首刑」が確定仕掛けている時、本件に関わった男女が続けて毒殺されるという事件が起きる。
青酸カリにしてはやや効き目の遅いこの毒薬は、アセトンシアンヒドリン
(CH3)2C(OH)CN と推測される。この毒物は戦後のどさくさで陸軍登戸研究所から相当量が行方不明になっているのだ。
事件関係者には登戸研究所に勤務していた経歴を持つものもいて疑惑は向けられるのだが、証拠は全くない。ひょんなことから事件に関わった東洋新聞事件記者の真鍋は、容疑者の男が通っていたという「夜の街」をさぐり、「悪魔のような女、久枝」の存在を知る。
しかしそれを教えてくれた娼婦も毒殺され、手掛かりを失った彼は神津恭介に助けを求める。快刀乱麻を断つはずの恭介だが、男女の世界は苦手中の苦手。7人の愛人を持つ女や「ピカドン」とあだ名される姉御からは、なかなか情報が引き出せない。
作者の悩みが一番現れているのが、このあたりだ。「夜の街」の女たちとそこに群がる男たちの人間ドラマを描きたいのに、そこに登場するのは「木石のよう」とも称される品行方正な名探偵である。第二・第三と毒殺事件は続くのに、名探偵はなすすべがない・・・。
ただ毒薬の分析に関しては、さずが神津先生でしたね。この毒薬は架空のものと思って読んでいたのですが、ちゃんと存在していました。かの「帝銀事件」の毒薬は、青酸カリと思っていましたがこれだったようです。