新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

陸軍登戸研究所の毒薬

 本書は1957年発表の、高木彬光の「神津恭介もの」の比較的初期の作品。戦後間もない1948年に「刺青殺人事件」でデビューした作者と名探偵のコンビは、1961年「白魔の歌」までおおむね1年に1長編のペースで発表されていたが、その後10余年の眠りにつくことになる。

 

https://nicky-akira.hateblo.jp/entry/2019/06/16/000000

 

 以前「名探偵らしい名探偵」として彼のことを紹介しているが、あまりにも「らしかった」ことから、作者も独自性を出しづらくなったのかもしれない。弁護士百谷泉一郎など他の主人公が、その座を奪っていった。

 

 本書には、作者が「神のごとき名探偵」の活躍をどう描こうか悩み始めていたと思しきところが散見される。宝石店の店主夫妻が青酸系と思われる毒物で殺傷され、素行の悪い店主の弟が殺人犯として裁判にかけられた。最高裁までもつれた裁判も、「有罪=絞首刑」が確定仕掛けている時、本件に関わった男女が続けて毒殺されるという事件が起きる。

 

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 青酸カリにしてはやや効き目の遅いこの毒薬は、アセトンシアンヒドリン
(CH3)2C(OH)CN と推測される。この毒物は戦後のどさくさで陸軍登戸研究所から相当量が行方不明になっているのだ。

 

 事件関係者には登戸研究所に勤務していた経歴を持つものもいて疑惑は向けられるのだが、証拠は全くない。ひょんなことから事件に関わった東洋新聞事件記者の真鍋は、容疑者の男が通っていたという「夜の街」をさぐり、「悪魔のような女、久枝」の存在を知る。

 

 しかしそれを教えてくれた娼婦も毒殺され、手掛かりを失った彼は神津恭介に助けを求める。快刀乱麻を断つはずの恭介だが、男女の世界は苦手中の苦手。7人の愛人を持つ女や「ピカドン」とあだ名される姉御からは、なかなか情報が引き出せない。

 

 作者の悩みが一番現れているのが、このあたりだ。「夜の街」の女たちとそこに群がる男たちの人間ドラマを描きたいのに、そこに登場するのは「木石のよう」とも称される品行方正な名探偵である。第二・第三と毒殺事件は続くのに、名探偵はなすすべがない・・・。

 

 ただ毒薬の分析に関しては、さずが神津先生でしたね。この毒薬は架空のものと思って読んでいたのですが、ちゃんと存在していました。かの「帝銀事件」の毒薬は、青酸カリと思っていましたがこれだったようです。

失明した名探偵

 シャーロック・ホームズも奇矯な性癖の持ち主だったし、そのライバルたちも平々凡々とした人はいないのはある意味当然なのかもしれない。名探偵というのは非凡な人だから名探偵なのであって、凡人型と言われるクロフツフレンチ警部でも、もちろん鋭い推理を見せる。ホームズ以後乱立気味であった名探偵ものを自分でも書こうと思った時、作者は自分のレギュラー探偵を何かしら特徴づけようとするのもまた当然であった。

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 その中でもかなり特殊な部類に入るのが、本書の主人公マックス・カラドス。事故で失明したのだが、並外れた意志の強さで障害を克服、新聞を指でなでて読むことができるほど感覚が鋭くなった。彼にはアメリカ人のいとこから遺贈を受けた資産があり、カメラの目と記憶力を持った執事パーキンソンに助けられて名探偵ぶりを発揮する。古くからの友人で私立探偵のカーライルが、ときどきワトソン役を務める。
 
 鋭敏な聴覚や触覚によって、人の声を聴き分けたり、さわっただけで宝石や古銭の真贋を鑑定できるのが、彼の一つの強み。見えてないので変装などしてもムダというわけ。代表的な短編「ブルックベンド荘の悲劇」を始め何編かは機械・電気的なトリックが中心に据えられていて評価が高い。しかし僕から見るとレベルの差が大きく、拍子抜けする結末やカラドスが事件の解決に寄与しないようなものも混じっている。
 
 印象に残ったのは「ヘドラム高地の秘密」で、まさに第一次世界大戦勃発直後の日、イギリス艦隊の動向を探っているドイツのスパイをカラドスとパーキンソンが追いつめる話だ。この話では、カラドスは「音に向かって撃て」とばかりスパイを射殺する。銃を撃つだけでなく丘を駆け回るシーンもあり、本当に盲人なのかと疑問に思ってしまう。
 
 障害を負った探偵というのは、「鬼警部アイアンサイド」などその後何人も出てきます。ほぼ全身不随のリンカーン・ライムまでいきつくのですが、さすがに盲人探偵というのはマックス・カラドス以外に知りません。正直言って、無理な設定だったのではないでしょうか?

コレクターとの闘い

 デイヴィッド・マレルと言う作家の名前を見て、どこかで聞いたなと思った。表紙を見て、砂漠の戦闘小説かなと思って購入し、帰りの列車で解説を見て、マレルのデビュー作は「一人だけの軍隊」だったことを知った。そう、デイヴィッド・マレルは映画「ランボー」の原作者だったわけだ。

 
 ベトナム帰還兵のランボー(もちろんシルベスター・スタローンである)が、社会に受け入れられず流れてきた街の警察署長に目を付けられ山林に逃げ込む。大規模な山狩りに対して、武器はコンバットナイフ1本だけ。ついに反撃にでたランボーが、最後にM-60を片手打ちするシーンに快哉を叫んだ視聴者も多かったと思う。
 
 本書も、主人公のチェイス・マローンはパナマなどで戦った海兵隊のヘリパイロット。今は退役してそこそこ実力のある画家として暮らしている。世界でも指折りの「死の商人」ベラサーからの依頼は、若い妻シェンナの肖像画を描いてほしいというもの。チェイスが断ると、ベラサーはチェイスの家を壊し経済的な封鎖をかけてくる。
 
 怒ったチェイスにCIAに務めている戦友ジェブは、ベラサーの秘密を告げCIAのベラサー排除計画を手伝えば復讐もかなうという。ベラサーは天然痘ウィルスを加工した兵器を入手しこれを紛争地帯に売ることを企んでいるらしい。CIAはこれを止めたいのだが、ベラサーは重武装の兵士に守れらた要塞に住んでいて軍隊でも手が出せない。

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 ベラサーの妻4人は皆よく似ていて、前妻3人は肖像画を描かれた後、事故で死んでいる。ベラサーの要塞でシェンナの肖像画を書き始めたチェイスは、絵が完成したらシェンナも殺されると確信し、2人で脱出する計画を練り始める。その手段とは、手慣れたヘリを盗むことだった。一旦は脱出してCIAにかくまわれた2人だったが、そこにもベルサーの私兵がやってくる。CIAにも裏切者がいると知ったチェイスは偽名でメキシコに逃れるが、そこにもベルサーの魔手が迫ってきた。
 
 ベルサーは若くして死んだ妹に似た娘を見つけると結婚し、妻が30歳(妹は死んだ年)に近づくと肖像画を遺して殺し、次の若い妻をめとることを繰り返してきた。凶悪な「女性コレクター」である。赤褐色(絵の具ではBurnt Siennaという)の肌を持つイタリア女シェンナも、肖像画にされる時期が近づいていたのだ。ベルサーにシェンナを奪われたチェイスはジェブらの助けも借りて、ベルサーの要塞に乗り込む。
 
 チェイスとシェンナの愛の物語としてはやや平板なのだが、プロであるチェイスの逃げ方・隠れ方は興味深いものだ。武装ランドローバー、武装ヘリが乱舞し、.50口径の重機関銃が火を吐くうえに、天然痘ウィルスの不気味さもあって、戦闘小説として十分楽しめました。

横浜・京都・塩釜を結ぶ道

 本書も津村秀介のアリバイ崩しもの、ルポライター浦上伸介が容疑者のアリバイを実際にその街に出掛けその列車や飛行機に乗って検証するストーリー。いわゆる「トラベルミステリー」なのだが、風光明媚な地を巡りながらもどちらかと言えば「鉄道ヲタク」的な味のあるシリーズである。

 

 酒好き将棋好きの伸介と先輩格の谷田実憲、今回は二人で三連休を利用した京都見物。そこで、横浜の将棋クラブの14人がツアーできているのに遭遇する。この14人も酒好き将棋好き、観光そっちのけでビールやコップ酒を呑みながら、マグネット式の将棋盤を開いている。

 

 ところがこの3泊4日のツアー、彼らが新横浜から「ひかり号」で京都にやってきた日に、それより1本早い臨時「ひかり号」で刺殺死体が発見される。またツアーが京都から横浜に帰る日の未明、塩釜でもう一人が刺殺された。いずれもナイフで一突き、現場近くでは凶器と高価な皮手袋が捨てられていた。しかも被害者は同い年で本籍が京都という共通点を持っていた。

 

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 事件を担当する大阪府警宮城県警は、この共通点に気付かず個別に調査するのだが数日たって「毎朝日報」横浜支社の谷田のところに妙な電話が・・・。

 

 「2人の被害者は俺の高校時代の同期生だ。俺ももう一人の仲間も殺されるかもしれない」

 

 という。谷田はこの男に会い、4人が過去にすでに時効になった犯罪を犯した仲間であることを聞き出す。事件発覚を恐れた4人は京都を離れ、別々に隠れ住んでいたのだが数カ月前に横浜で会っているという。谷田と同行した伸介の2人は、その「もう一人の仲間」が犯人ではないかと疑うのだが、彼には鉄壁のアリバイがあった。

 

 何しろ冒頭出てきた14人のツアーの添乗をしていて、

 

・最初の殺人の時は、1本後のひかり号に乗っていて、14人の証人がいる。

・二番目の事件の日は前夜にツアーのホテル(京都)のバーで飲んでいた。

 

 というもの。大阪府警宮城県警を横浜に読んだ谷田の友人で神奈川県警の淡路警部も手が出せなくなる。そこで、本格的に伸介の登場になるのだが・・・。

 

 正直、この謎は解けました。3つのトリックがあって、いずれも旅慣れた人間でないと気が付かないかもしれません。これで、伸介クンと肩を並べて歩けるかもしれません。ぼくもお酒好きですから、今夜は少し多めに呑ませてもらいましょう。

ベーブ・ルースの記録を破るもの

 作者のポール・エングルマンは大手雑誌の編集者、本書(1983年発表)がデビュー作である。舞台は1961年のニューヨークで、主人公の私立探偵マーク・ペンズラーは、マイナーリーグ二塁手だった男。ニューヨークを本拠地にしたメジャー球団ジェンツへの昇格を夢見ていたが、試合中の死球で片目を失い引退を余儀なくされた経歴を持つ。

 

 1961年のシーズン、NYジェンツは順調にペナントレースを戦っていた。打線が好調で、4番のジャコーが年間50本ペースで本塁打を打っているのだが、3番のマービン・ワレス左翼手はそれを上回る本塁打を打ち、年間60本というベーブ・ルースの記録を塗り替えるのではないかと期待されている。

 

 そんな中、ペンズラーはジェンツのオーナーに呼び出された。私立探偵としての彼への依頼は、ワレスへの脅迫者を見つけ出してほしいというもの。ジェンツの監督のところに、「ワレスを試合に出すな。事件が起きるぞ」との手紙が届いたのだ。日本でも王選手の年間55本の本塁打記録を破りそうな選手が出てきて、その選手や球団に脅迫文書や電話がかかった事件があったが、モチーフは全く同じだ。

 

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 ペンズラーは球団の遠征にも帯同して脅迫者の正体を探り始めるが、球団内部にもワレスと仲の良くない者たちがいることを知る。ある時かかってきた脅迫電話は、遠征先のホテルの内部からのもので、球団関係者が絡んでいるらしい。さらに球団周辺で賭け屋の男が2人、バットで殴り殺される事件が起きる。凶器は大リーガーが使う特殊なバットだ。どうもワレスが新記録を達成するか否かで、巨額の闇賭博が行われているらしい。

 

 一時期脅迫の影響もあって不調だったワレスも、ついに53本まで本塁打記録を伸ばした。残り24試合で8本打てば新記録だ。ペンズラーは賭け屋を殺した男を見つけて捉まえるのだが、事件には大きな黒幕がいて、原題「Dead in Center Field」にあるような球場での暗殺計画が進行していた。

 

 アメリカ各地にあるスポーツ・バーで見かけるようにシーンやそこで交わされる(やや卑猥な)スラングがちりばめられていると見えて、翻訳文章に不自然な部分が目立つ。無理に日本語にしない方がよかった部分もありそうだ。ペンズラーは黒幕にとらわれながらも脱出してジェンツの窮地を救うのだが、このあたりの展開はややステレオタイプだ。事件そのものを追うより、1961年の良きアメリカだった時代の雰囲気を味わうにはいい作品でした。