新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

インドの勢いと内在する課題

 中国包囲網としての「QUAD」に加盟しながら、ロシアに制裁を加える米国主導のG7に背を向けて、ロシア主催の「BRICS」に加わるインド。もうじき人口で中国を抜くだろう超大国インドの動向は国際社会の注目の的だ。しかし僕自身この国のことを良く知らないので、本書(2019年発表)を買ってきた。著者の広瀬公巳氏はNHKニューデリー支局長。

 

 ナレンドラ・モディ首相は、グジャラート州の貧しい家庭に産まれ。チャイを売る仕事もして政治の勉強をして世に出た、まさに叩き上げの政治家だ。その強引とも思える政策は、グジャラート州首相時代らの政治哲学によるものだという。

 

・強い指導力

・電力などのインフラ整備

経済特区規制緩和外資導入

・政治の透明性で高成長を目指す

 

 がポリシーである。

 

 AIなどデジタル技術者を多く輩出し、デジタルサービス産業が急成長している背景に、2つの問題点が見えてくる。ひとつには憲法で禁止されたカースト制度が厳然としてあること。デジタル産業は、カースト上定義がなかったから(カーストの壁を越えて)多くの有能な人材を得られた。今でもカースト(&苗字)によって就ける職業が決まっている。

 

        

 

 もうひとつは、農業・工業の遅れである。農地は細分化されすぎて高度化できず補助金漬け、工業は労働者の権利が強すぎて成長しない。工業は外資(例:スズキ)を誘致してカバーしているが、農業改革は進んでいない。

 

 憲法の精神は、①反植民地、②社会主義、③政教分離である。なんと社会主義国なのだ。英国の植民地だった当時に、ソ連を参考に政治の在り方、憲法草案を練ったようだ。独立後も<インド合衆国>ともいうべき地域の独立性から、また隣国中国への対抗という意味から、ソ連に多くを学んだ。

 

 州ごとの独立性は、モディ首相の「高額紙幣使用禁止」や「消費税額統一」施策で少し大人しくなったが、以前根強い。また政教分離といいながら、モディ首相の与党インド人民党ヒンドゥー教の政党。宗教色の薄い国民会議派を2010年代に打ち破って、多数派になった。一方でヒンドゥー教徒自体は、大多数だったのが多数になりつつある。

 

 軍事面でも、世界最大120万人の常備軍を持ちながら、装備は質のバラつきがある。パキスタンはもとより、中国の影響が大きい海の隣国スリランカも課題だ。さて基礎勉強はしたので、インドの行方を見守りますよ。

長十手の岡っ引き

 笹沢左保著「木枯し紋次郎シリーズ」で手に入ったものは全部読んでしまい、しばらく作者にもご無沙汰だったのだが、今回本書が手に入った。作者には多くの時代劇シリーズがあるが「紋次郎」ほど有名なものは少ない。僕自身も「紋次郎シリーズ」を最初に紹介した時に「常識外の長い十手を振り回すヤクザもどきの目明し」と本書の主人公「地獄の辰」を紹介している・・・いや「名前も覚えていない」のだから紹介したことにはならないだろう。

 

 本書は「地獄の辰シリーズ」の最初の短編集、1985年に文庫化されている。主人公の辰造は長身でやせ型、骨ばったニヒルな顔立ちと「紋次郎」に似ていなくもない。北町奉行所の磯貝同心に飼われている、岡っ引きである。多くの捕物帳で正義の味方に描かれる岡っ引き、これは正式の役職ではない。町民の暮らしや犯罪者の動向にうとい与力・同心が、お役目のために私費で飼う「密告者」のようなものだ。

 

 給金はないので女房に料理屋をさせたり、街中の問題に介入して礼金をせびったり、自らヤクザもどきのことに手を染めるものも少なくない。その結果、町民からは蛇蝎のごとく嫌われるのが普通だ。このあたり作者のリアリティさが活かされて、ハードボイルド捕物帳になっている。

 

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 中でも荒っぽいことこの上ない辰造は、深川堀川町の親分とか、御用聞きとか言ってもらえるはずもなく、江戸中で「地獄の辰」の名で通っている。辰造は磯貝同心にも心は許さず、普通は呼び出しにも応じない。ただ事件を嗅ぐ能力が高いので、自分の成績のためにも辰造を使おうと磯貝同心は手管を使う。

 

 7年前恋人のお玉が襲われて死に、その悪党を見つけて八つ裂きにするのが辰造が十手を持った理由。そこに付け込んでお玉を襲ったかもしれない犯人をエサに、磯貝同心は辰造を使う。辰造は60センチを超える長十手のほか、杖術の心得があって侍と向き合っても後れはとらない。本シリーズでは捕物道具がふんだんに登場するのも興味深い。

 

・袖からみ 2mほどの寄道具、先端の8本の鉄鉤で相手を拘束する。

・八方剣草隠れ 鶏卵に8種類の粉末を詰めたもの、投げつけて目つぶしにする。

・手の内 糸を付けた12センチほどの鉄棒、投げたり振り回して使う。

 

 「紋次郎シリーズ」同様、立派なミステリーになっていました。名前覚えていないとは失礼しましたね。

「シリアの友」たちの優柔不断さ

 2017年発表の本書は、東京外国語大学教授の青山弘之氏(東アラブの政治・思想・歴史が専門)が、21世紀最大の人道危機と言われたシリア紛争を紹介したもの。日本ではこの地域のことを知ることができる書物は多くなく、今回はシリアという国について勉強させてもらった。

 

 古来「文明の十字路」でもあったシリアの地、繁栄した過去を持っているが19世紀にはフランスの植民地になっていた。第二次世界大戦後独立を果たすが、南にイスラエルという国が出来、数次の中東戦争イスラエルに完敗した。驚いたのはソ連が大戦中にすでにシリアと秘密協定を結び、地中海への足掛かりを得ていたこと。タルトゥースの港は今でも、地中海で唯一ロシア海軍艦艇が整備・補給を受けられるところだ。

 

 1963年、バアス党のクーデターで政権を握ったのがハーフィズ・アサド。彼はシリア軍を強化し、安定した政権運営をした。彼が2000年に死去すると、次男のバッシャールが34歳の若さで大統領に就いた。普通選挙が行われて、90%近い得票率だった。しかし2011年から「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が、各地で発生。シリアでの混乱はこの時に始まった。

 

        

 

 今でもシリア紛争を「アサド独裁政権民主化勢力」と思っている人もいるようだが、民主化の勢いはすぐに民族・宗教的な闘争と外国からの軍事勢力の介入によって覆い隠されてしまった。今は外国の思惑と、部族等の離合集散で複雑極まりない紛争が続いている。

 

 そんな中で、アサド政権が反政府勢力に化学兵器を使った疑惑が浮上した。以前から人権問題や強力な兵器(白リン弾・ミサイル・クラスター爆弾等)使用などでシリアに圧力をかけていた「シリアの友」グループ(米英仏・トルコ・サウジ他)は、アサド政権を非難した。そこにロシアが助け舟を出し、すべての化学兵器を提出すれば米軍等がシリア攻撃をしないと約束させた。

 

 本件に限らず、膨大な死傷者・難民を産みながらこの紛争が決着しない原因は、上記グループ(特に米国オバマ政権)の優柔不断さにある。介入も限定的で、アサド政権を崩壊させる気は全くない。後に本格介入したロシアは反政府勢力への攻撃は苛烈を極め、トルコのクルド人勢力への攻撃も強烈だった。

 

 同じような人道危機がウクライナで起きていますが、シリアでできなかったことはウクライナでもできないでしょう。戦禍が長引くことは必定ですね。

証拠しか相手にしない

 以前「死の冬」を紹介した「CSIニューヨーク」の邦訳第二作が本書。原本となったのは、2009年に放映されたCBSのTVドラマである。科学捜査班の活躍を描く人気のドラマで、本家はラスベガス、スピンアウトとしてマイアミとこのニューヨークがある。ニューヨーク版のシナリオを任されていたのが、「ロビンフッドに鉛の玉を」(1977年)でデビューしたスチュアート・カミンスキー。惜しくも2009年に亡くなっている。

 

 「死の冬」では零下20度にもなる厳寒のニューヨークが舞台だったが、今度は43度を超える酷暑の8月である。マンハッタンは青森ほどの緯度の島だが、メキシコ湾流のせいか暑さも半端ではないらしい。1990年代のニューヨークは米国でも一二を争う犯罪都市、殺人事件は年間2,000件以上だった。しかし1994年に就任したジュリアーニ市長と後任のブルームバーグ市長がマフィア撲滅を含む犯罪一掃に尽力し、2008年に殺人事件は500件まで減ったという。その陰に本書のモデルとなったニューヨーク市警科学捜査班の活躍があったことは言うまでもあるまい。

 

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 科学捜査班主任マック・テイラー率いるチームが担当するのは、ユダヤ教徒を殺して磔にする連続殺人事件と、両親と娘が刺殺され末息子が行方不明になった事件。加えてチームメンバーのひとりステラ・ボナセーラにストーカーが迫るエピソードがあり、この3つが並行して語られる。TVドラマらしくめまぐるしくシーンが変わるので、似たような名前(ジェイコブ・ジョシュア・シェルトン・シェルドン・・・)が出て来て混乱することもある。

 

 印象的だったのは、マックが容疑者を前にしてその弁護士から捜査のやり方を追求されて反論するシーン。意図的に証拠の分析を曲げたのではないかと問われて、マックは「我々は証拠しか相手にしない」と言い切る。いかに疑わしい行動をする容疑者でも、犯行を自白していようとも、証拠集めや分析に違いが出るわけではないと強調している。

 

 頼りになる捜査官たちだとは思うのだが、少し気になることもある。NCISの場合には海軍軍人が関わったケースで登場するのだが、CSIはニューヨーク全部の事件に介入するのだろうか?年間500件でも、全部に関わるマンパワーはなく、何らかのフィルタがあるはずなのだが。まあ余計なことですかね、純粋にミステリーとして楽しめばいいのかもしれませんが。

 

「COVID-19」禍半年で見られた変化

 2020年7月発表の本書は、主として月刊「Voice」に掲載された15の論考(書き下ろしであったり、インタビューをまとめた)を束ねたもの。全体として何かの主張に結び着けようというものではなく、多様な分野の学者、評論家、作家、コンサルタントなどが「COVID-19」禍半年で、世界の変化について何を感じたかが書かれている。

 

 ここに登場する多くの論客は、「COVID-19」との闘いは長引き「With COVID」にならざるを得ないと予測している。以前からあった社会問題を顕著にしたという点でも一致しているが、専門によって「どんな問題」かは指摘が分かれる。僕が感じたのは、

 

◆都市化

 経済合理性を求めてヒト・モノ・カネ・情報が集まる都市は、規模が大きいほど有利だった。三密の場での情報交換がイノベーションにも陰謀にも結び付いたのだが、今後はそれが難しくなる。「開」で「疎」な空間に種々の活動が移っていくと思われる。

 

グローバリズム

 世界で一番安いところで買って、高いところで売るモデルは、国際社会全体では格差を縮小したが、各国内では格差を広げた。特に先進国の中間層は軒並み没落、富の偏在が顕著になった。この傾向にも「COVID-19」は竿を指し、経済界の都合ではなく国家主権が再び台頭している。

 

        

 

◆デジタリゼーション

 「COVID-19」がかつてのパンデミックと異なるのは、グローバル化だけでなくデジタリゼーションも同時に進展している時代に起きたこと。パンデミックがより大規模に問題(貧困・偏在・格差等)を孕んでいたところを直撃し、未曽有の混乱を招いた。しかしこれを留め建てする方法はない。

 

◆米中対立

 中国市民は、苦労はしたがパンデミックを抑えた中国政府に比べ、欧米各国政府の無為無策にあきれた。かつて憧れだった国々の体たらくに、自らを誇り相手を侮るようになっている。一方米国では「China Virus」の掛け声で、パンデミックは中国のせいとの声が高まり、市民レベルでも両国の分断が深まった。

 

◆日本の統治機構

 「自粛」で片付けようとしているが、市民はそれを政府の要請ではなくその背後にいる何か(道徳?)の指示と受け取っている。このような統治機構に、各国は疑問を投げかけている。

 

 やはり「COVID-19」は、世界の問題点をあぶりだす契機ではあったようですね。