新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

有史2,600年、先人の知恵

 本書は松村劭元陸将補の「戦争学シリーズ」の第三作、2,600年間の軍事史や20世紀の軍事革命を綴った前2作に続き、戦争学の理論を名将の言葉を借りて紹介したもの。野党や一部メディアは日本の軍事費について「削減して福祉等に廻せ」と言うが、

 

・軍事費ほど儲からないものはないが、軍事費がなければもっと儲からない(古代ギリシアの格言)

 

 が回答になっていると思う。これは、企業にとってのサイバーセキュリティ関連の「投資」と、同じことだろう。さらに、

 

・君が平和を望むなら、戦争を理解せよ(リデル・ハート

・平和は悩みの時期、戦争は悩みを解消する行動の時期(フレデリック大王)

・安全保障力の欠如は、基本的な戦争原因である(J・C・フラー)

 

 と聞けば、戦争に備えることは必然と分かるはずだ。では、軍事行動の目的とは何かというと、

 

・敵軍が撤退したら作戦は失敗、敵軍の撃破してこそ勝利(スヴォロフ元帥)

・すべての事項に拘るものは何も得ない。目標はただ一つ敵軍だ(フレデリック大王)

 

 敵軍を撃破するには奇襲が有効だと、多くの名将が言う。

 

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・奇襲の機会を見逃さないことは、軍事的天才の本性である(ナポレオン)

・奇襲には秘匿(欺瞞)と速度の両方が必要(クラウゼヴィッツ

・眠れる敵への打撃は自慢にならないが、受けた側には恥辱である(山本五十六

 

 ほかにも戦略・戦術の「キモ」となる言葉が、本書には満載されている。

 

・戦争は不確実性の世界、3/4は霧の中(クラウゼヴィッツ

・状況不明だと?よし、攻撃前進だ(グーデリアン将軍)

・戦術は簡単。鼻柱を捕まえて、股間を蹴り上げろ(パットン将軍)

兵は詭道なり。その備え無きを攻め、その不意を出づ(孫子

 

 名将たちは、次の順番で判断を下していくとある。

 

1)求められている任務は何か?

2)周辺状況はどうなっているか?

3)敵の可能行動はどうか?

4)こちらの可能行動は何通りあるか?

5)彼我の可能行動の組み合わせのシミュレーション

6)どの組み合わせが良いかの判断基準

7)こちらの作戦行動の決定

 

 「情報」の扱いについても言及がある。まず指揮官がどんな<Intelligence>を求めるかの指示で始まり、<Information>が集められる。それらが分析されてニーズに合ってウラのとれた<Intelligence>へと進化する。2,600年間「情報戦」の本質は不変ということですね。

在デリー高等弁務官の死

 1984年発表の本書は、英国推理作家協会(CWA)賞新人賞受賞作。作者のエリザベス・アイアンサイドは英国生まれで、欧州各地やインドを巡り歩いたと解説にある。今や人口で中国を抜く大国インドだが、その国土の広さも半端ではない。作者がインドで暮らした3年間は、本書の舞台でもあるデリーとラダックだが、気温40度越えは当たり前のデリーと、チベットに近く標高4,000mクラスで氷雪に閉ざされたラダックの落差は特に大きい。

 

 政治的にも1948年に独立は果たしたものの未だに英国の強い影響下にあるし、ラダックの先チベットを巡っては、中国と厳しい対立関係にある。都市部では近代的な街並みが出来ているが、一歩それを外れると19世紀以前の暮らしが普通だ。

 

 高等弁務官事務所代表のヒューゴーフレッチャムは、妻と別れて弁務官公邸で一人暮らし。ただ毎日のように公的イベントがあり多忙を極めている。そんな彼の趣味が古美術などの収集。この日も古い仏像やナイフを入手して、夜はゆっくりこれを眺めていたいのだが、副高等弁務官宅でのパーティがあり夜半まで予定が詰まっている。パーティを切り上げ自宅に戻った彼は、何者かにナイフで刺殺されてしまう。

 

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 現場は強盗が居直ってヒューゴーを殺したように見えるのだが、英国政府は保安調査員のシンクレアを派遣して捜査をさせる。関係者の多くが外交官特権を持っており、現地警察の捜査がやりにくいこともあるし、単なる強盗ではなく諜報がらみの可能性もあったからだ。

 

 シンクレアはヒューゴー宅に滞在していた若い研究生ジェインの協力も得て、インドとチベットにまたがる事件の背景を明らかにしようとする。ヒューゴー宅の金庫からは25万ドル相当の金塊がみつかり、ソ連大使館のKGBっぽい男や、元インド軍将軍で実業家が事件に絡んでくる。一方ヒューゴー自身にもLGBTの疑惑や、密輸・マネロンの容疑も加わる。

 

 インド発のミステリーは少なく、インド人の生活をヴィヴィッドに描いている書はもっと少ない。実は邦題「とても私的な犯罪」は、ミスマッチ。原題「A Very Private Enterprise」を当てようとしたのだろうが、謎のネタバレを起こしかねない。

 

 面白い作品であることは確かですが「高等弁務官の死」くらいにしておくべきだったように思います。なお本書は、作家・翻訳家の小泉喜美子さんの遺訳だそうです。

「絶望社会」先進国の肖像

 前の文政権が検察力を弱めようとして警察に肩入れし、今の尹政権が検察復権を目指して警察をスポイルした。その結果、梨泰院の事件がより多くの犠牲者を出したという。死者のほとんどは若者、特に女性が多かった。

 

 2020年発表の本書は、在日三世のライター安宿録氏の韓国若者事情レポートである。

 

・若者の失業率は、20年にわたり8%以上

・大卒就職率は、8年連続で60%台

・特殊出生率は、ついに0.94まで下落

 

 日本の「若肉老食政策」よりも過酷な現実が、彼らの上にのしかかっている。大学進学率が8割を越えていても、ごく一部の優等大学を除いてはまともな就職先がない。卒業後3~10年も資格を取る学校に行ったり兵役もあるので、稼げるようになるのはアラサーのころ。それでいて大企業に入れても、40歳過ぎには「定年」がやってくる。ましてや高卒では「勉強が出来ず大学に行けなかった者」とのレッテルを張られて、世間から見えない存在にされてしまう。

 

        

 

 現在でも<両班>が形を変えて残っているようで、ひとにぎりの特権階級が全てを握っている印象だ。また男尊女卑もひどく、LGBTなどへの風当たりも強い。映画「パラサイト~半地下の家族」やTVドラマ「梨泰院クラス」が描くのは、ごく普通の都会の風情だという。では地方はというと、100年前と変わらぬところもあり、若者は住みづらい。

 

 多くの若者は、都会でも地方でも、諦観していると筆者は言う。一部の能力のある若者は海外への進出を考える。本書の中には、日本に就職先を求めた韓国人のインタビューもあり、日本企業はよりフレンドリーだという就職理由を掲載している。

 

 格差社会が問題になる日本だが、本書の記述を見る限り韓国の絶望感はケタが違う。かつてはかの国に旅行などで行っていた僕から見れば、残念な現状。日本がそれに追随しないことを祈るだけです。

三位一体の食卓へ

 先々月「ワインの便利手帳」、先月「イタリアの食卓・おいしい食材」を紹介した。僕ら夫婦も、ただワインをガブガブ呑んでいる時代は終わり、本当の美味しさを味わう(人生の)時期に来ている。だから勉強を始めているのだが、ワインの選び方・味わい方を知り、それに合わせる食事を「美食先進国」フランス・イタリアに学ぼうとして読んだものだ。

 

 ただその食材のうち、チーズは種類が多すぎて訳が分からない。しかもイタリア本だったので、フランスその他の地域のチーズ情報が得られなかった。そこで探してきたのが本書。1993年発表の内容を文庫化したもので、フルカラーの200ページに400種近いチーズが写真入りで紹介されている。全体の70%がフランス産、15%がイタリア・ギリシア産で、スペイン・ポルトガル産が5%、残りが北欧・ベネルクス・ドイツ産となっている。冒頭、熟成度、加熱の有無、カビのタイプや表面処理などの違いで、12種の分類が示されている。

 

        

 

 個々のチーズについて、これらの区分や原料(牛・ヤギ・羊・水牛)、脂肪分などの他、合わせるワインが示してあるのが嬉しい。総じて生産地付近のワインが合うとされているが、白・赤・ロゼのどれが合うかくらいでも十分な情報。

 

 美味しい買い方、保存法、食べ方のアドバイスもある。

 

・「いい店」に行く、いい店とは清潔でその場で切り分けてくれる店員がいること。

・チーズの選び方に近道はない。場数(舌数?)を踏んで、実際に試してみること。

・必要量を買うこと。硬いチーズは日持ちするが、賞味期限は確認するべき。

・保存期間は、乾燥させないかつ窒息させないことが重要。

・保存は軽い蝋引きの紙などにくるんで、野菜室がベター。

・食べる30分前には冷蔵庫から出す。

・皮と中身が各人に等分になるように切り分ける。

・皮は取り除くことが多いが、食べても害はない。

・いいワインとパリッと焼けたパンを必ず用意する。

 

 そうすることによって「三位一体の食卓」が完成すると、本書はいう。まだブリーやモッツアレラ、ゴーダ、シェーブルくらいしか馴染みのない当家ですが、本書を参考に食卓改革に努めますよ。いただきま~す。

日本でペリー・メイスンは育つか

 昨日佐々木知子著「日本の司法文化」を紹介して、検挙率95%、無罪率0.1%という日本の犯罪捜査や裁判の状況をご紹介した。ゴーン被告人の肩を持つつもりはさらさらないが、これほど「超精密」な司法文化では法廷弁護士の役割は目立たない。そこで検察から見た「日本の司法文化」に対し弁護士視点の本書を買ってきた。2013年発表の書で著者長嶺超輝氏はフリーライター。20歳代のすべてを司法試験に費やし、7度失敗して断念している。

 

 映画にあるような「一発逆転劇」を弁護士が法廷で演じるのは、日本ではとても難しい。しかし明治以来の日本の法曹史で、弁護士が熱弁を振るい裁判結果に相応の影響を与えたケースはあると著者は言う。例として挙げられたのが、

 

・大阪空港(騒音)訴訟

水俣病公害訴訟

信楽高原鉄道事故

阿部定事件

極東国際軍事裁判

 

 で、さらに伝説の弁護士である、

 

・天才弁論家、花井卓蔵(日比谷焼き討ち事件・八幡製鉄所汚職事件・松島遊郭事件)

・毒舌攻撃の今井力三郎(帝人事件)

・暴走法曹、正木ひろし(八海事件)

 

        

 

 を紹介している。裁判官の心に訴えるため、さまざまなレトリックを使い、時には弁論途中で沈黙して「何分黙っていたか」と証人や検察官に問い、時間感覚の誤りを糺すなどのテクニックを使ったとある。

 

 確かに面白いのだが、明治以来特徴的な件を集めてもこれだけかという気もする。公害訴訟のような政府や大企業を相手取った裁判ならともかく、刑事事件の裁判ではやはり「無罪率0.1%」ゆえ、実例に乏しい。米国の陪審員裁判のように、弁護士が(素人である)陪審員の心情に訴えて無罪判決を勝ち取る余地はあまりにも少ない。

 

 本書発表時点では、裁判員裁判は始まっていない。むしろ「司法制度改革」で弁護士が増えすぎ、食えなくて困っている実態が紹介されている。年間500名ほどだった司法試験合格者を徐々に増やし2,000名ほどになった現状では、職にあぶれる合格者も出てきた。当初の計画では、弁護事務所だけでなく一般企業が大量採用してくれるはずだったのに。

 

 著者は、司法試験一辺倒の弁護士資格に疑問を呈する。もっと多様な(尋問がうまい、科学捜査の見識が深い等)人材を法曹界に招くべきで、それが本当の「改革」だという。そして「弁護士を大事にしない政策」を糾弾する。以前「医者の稼ぎ方」で見たように、この業界にも「腕」を計る指標が必要でしょうね。