新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

法人検死報告書(コロナ編)

 本書は、以前「あの会社はこうして潰れた」を紹介した、帝国データバンク情報部による「COVID-19」禍における倒産状況分析の続編。2021年5月の出版で、おおむね2020年度の倒産劇を扱っている。

 

 実は「COVID-19」対策として政府が数々の支援策を出していて、当該年度の倒産件数自体は前年度から減っている。これについてはゾンビ企業を延命させたとの批判もあるが、企業倒産は雇用にも影響するので必要な措置だったとは思う。しかし2020年度には大型倒産も多かった。本書では、アパレル・娯楽・観光・飲食に加え、比較的「COVID-19」の影響が少なかった製造業なども含めた23の具体例を紹介している。

 

 大雑把に見ると、ビジネスモデルの不備・オーナーや役員の使い込み・無謀な業容拡大や先行投資などの問題があって、それを「COVID-19」禍が顕在化させて死に至ったというものが目立つ。

 

        

 

 大きなインパクトだったのは、インバウンド需要の消滅。ピーク時4兆円以上あったこの産業は、輸出額1位の自動車(12兆円)には劣るものの、2位の半導体(4兆円)を上回る規模。その結果「GoTo」で助成したものの、倒産した観光関連企業が目立つ。また中国への入れ込み過ぎで危機に陥ったケースもあり、グローバル経済の影響は大きくなっている。その割に、経営者の目は国内に閉じているようにも見える。

 

 巻末に、創業100年以上の老舗企業が34,000社以上あるが、上場しているのは2%ほど。大半が年商10億円以下の小規模で、リスクについての意識は、

 

1)戦争、35%

2)主力商品の販売不振、28%

 

 以下、資金繰り、災害と続くとある。本来は「Global & Digital」の推進とそれに潜むリスクを見て欲しいのですが、日本の多くの企業はまだその段階まできていないようですね。

技術革命だけでは人類を変えきれない

 2017年発表の本書は、5人の知の巨人にサイエンスライター吉成真由美氏がインタビューしたまとめたもの。昨日紹介した「知の逆転」の後日談とも言え、テーマは「人類とテクノロジーの関係」である。登場する巨人は、

 

ノーム・チョムスキー(数学・言語学政治学者)

レイ・カーツワイル(発明家・未来学者)

マーティン・ウルフ(経済ジャーナリスト)

ビジャルケ・インゲルス(建築家)

フリーマン・ダイソン(数学・物理学者)

 

 テクノロジーは指数関数的に発展する。問題はそれを人類が使いこなせるかどうかで、巨人たちの意見も分かれている。使いこなせるとすれば、

 

自然エネルギーの供給量は2年で倍になる。必要量を得るにあと6回倍になればいい

・デジタル技術で人間のバックアップも可能になり、医療技術で寿命も半永久的になる

・3Dプリンタで、建築物も衣料品も、なんでも自由に作り出せる

 

        

 

 逆にリスクとしては、

 

・分散型のシステムが進んで反政府(アナーキズム)がはびこり、破局が訪れる

・インターネットそのものが目的を持ち、世界を支配する可能性もある

 

 が挙げられていた。その他にも興味深い意見があり、

 

・少ないデータでAIが成長する技術開発 ⇒ 醜いデータ覇権争いが無意味に

・機密の多くは自国民に情報を伏せるため ⇒ これが政府への不信につながる

グローバリズムとテクノロジー発展で企業は国内投資を渋るようになる ⇒ 日本の企業内留保増の理由

・気候変動モデルには疑義があり、脱炭素に使うカネは被災地再開発に廻すべき

 

 という。サイエンス(&テクノロジー)は人類の未来を切り開くが、それだけでは(起きてくる問題の解決含め)充分ではない。「99%デモ」がネットで拡散して大規模なものになっても、結局何も変わらなかった。新しい時代に合わせて人間も、生活様式も、考え方も変えなくてはいけないのだという。

 

 ただ変化の方向性については、5人の巨人に一致は見られませんでした。前著より多様性が増したのかもしれません。

限りなく真実を求めて

 2012年発表の本書は、当代最大の(理系)知性を持った巨人6人へのインタビューをまとめたもの。インタビュアーはサイエンスライター吉成真由美氏である。その巨人たちとは、

 

ジャレド・ダイアモンドUCLA教授)

生物学者でピューリッツア賞受賞者「文明はわずかな誤りで崩壊する」

ノーム・チョムスキー(MIT名誉教授)

言語学者「エリートは必ず体制の提灯持ちに堕する」

オリバー・サックス(コロンビア大教授)

神経学・精神医学者「音楽は言語より先に脳に入り、ずっと長く残る」

マービン・ミンスキー(MIT教授)

コンピュータ科学・認知科学者「サッカーロボットより原発作業ロボットが重要」

◇トム・レイトン(MIT教授)

数学者でアカマイ創業者「無法地帯である情報産業に数学という武器で立ち向かう」

◇ジェームズ・ワトソン(DNA二重らせんでノーベル生理学・医学賞を受賞)

分子生物学者「個人が大切にされない組織、社会は発展しない」

 

        

 

 彼らに共通して問われたことの一つが、インターネットの未来。AI研究者であるミンスキー教授が、一番辛口な予想をしている。どれだけデータを詰め込めても、ドアひとつ開けられないではないかと。10年余り経って、ミンスキー教授のあるべき姿に、デジタル社会はなりつつあると思う。ただレイトン教授が指摘していたように、悪者も自由にインターネットを利用するのでサイバー空間は無法地帯となってしまう。そのひどさは、レイトン教授の予想を大幅に超えているだろう。

 

 脳科学者サックス教授が、障碍者でも脳力を発揮する例を示し、15歳ではまだ能力の方向性は見えないという。一方ワトソン博士は、16歳ほどでその人の能力の方向性は見いだせるという。6人に共通するのは、自らの専門領域で「限りなく真実を求める」姿勢だとある。敵は100万ありとても、決して妥協しないのが知の巨人のゆえんだそうです。

コミュニケーションが苦手な日本人へ

 2017年発表の本書は、経済学者暉峻淑子(てるおかいつこ)氏のコミュニケーションを基軸に据えた社会論。冒頭「対話が続いているうちは、殴り合いは起きない」というドイツ人の言葉が紹介されている。これは真実で、

 

・誘拐やたてこもり事件でも交渉しているうちは、人質は比較的安全

・外交チャネルが開いているうちは、サイバー攻撃はあっても侵攻には至らない

 

 のが常識である。赤ん坊が基礎的な知識を得るには、親などからの働きかけが必要。働きかけの多くは対話だとある。対話とは、上意下達の指示や講演のような一方通行ではなく、対等の立場で思うところを述べ合うこと。ディスカッションであってもいいが、優劣を競うディベートではないと筆者は言う。

 

        

 

 実は日本人はこれが苦手で、その理由は、

 

1)異文化が少ない環境で育ち、一体感を持っていて、言葉に出さなくても理解してもらえると思っている。

2)万人に認められるルールではなく、特殊な人間関係で社会的な取り決めが成される傾向が強い。

 

 のだそうだ。その結果、数々の悲劇が起きているとある。例示されていたのは、

 

・職員会議からの意見具申を排除した東京都教育委員会

・笹子トンネルの事故前の点検が手抜きだったこと

・関越道高架下に建設された公共施設の方針決定過程

 

 である。そんな日本だが、本質的に人間は対話を渇望している。それが発露した例は、いくつかみられるという。あるコミュニティでは、何人かが自分の困っていることを提起して、対等な立場で意見を交換する会合が定期的に開催されるようになった。このような活動が広がっていくことで、民主主義の基礎が固まると言うことらしい。

 

 道路整備などの街づくり、障害児教育、基地など迷惑施設対応など、いずれも対話が解決していくと筆者は言う。うーん、政治の基本も対話ですよね。米中対立やウクライナ紛争も・・・無理かな?

アベ政治とは何だったのか

 2021年発表の本書は、菅政権末期の同年8月前後に「自民党」を長く見てきた8名の関係者・有識者に宝島社がインタビューした結果をまとめたもの。安倍・菅政権の9年間に批判的な人ばかりで、政権の功罪というよりは「罪」ばかりを取り上げた内容となっている。本来題名は「官邸一強政治、失敗の本質」とすべきかもしれない。

 

 ポイントとしては、

 

・国民への説明をしないまま、疑惑があっても選挙で勝つことで禊を済ませる

・官邸支配のため、抵抗する官僚を即時更迭して見せ官僚を非機能状態にした

・政治野望の強い官僚を官邸に長くとどめて置き、その力で強権政治を行った

・本来多様な意見のある自民党議員を、党の支配で縛り付け一強体制を構築した

・党公認や大臣ポストなどを道具に使い、政治家の言論を封殺した

・政治家も官僚も、縁故主義や好き嫌いで選別し「あるべき議論」をさせなかった

 

        

 

・政治家は、お友達、右派、総理一族、イエスマンを重用し、他は冷遇した

・国民には「自助」を求め、なるべく「公助」に頼らないよう意識づけた

・メディアに対してはおもねる者だけを重用し、そうでない者はバッシングした

・政治的公平性を盾に、これに抵触する場合は電波停止するなどと脅した

 

 最後のものは先日起きた「総務省放送法4条解釈論」にも繋がるかもしれない。

 

 安倍元総理の野望は「米国の認める範囲での、大日本帝国の復活」(思想家内田氏)だったとある。自民党の右派である<清和会>のTOPが長く総理を続けたことで、戦争の出来る国への道を歩んだともいう。闘いたくはなくとも闘えるようにしていることは重要で、それを目指した安倍政権については僕は評価する。しかし先日「正論」の授賞式会場で感じた「右寄りすぎる感」への危惧がないわけではない。

 

 その危惧の部分を強調する「傍証」をまとめた書でした。参考にさせてもらいますが、全部を鵜呑みにはできませんね。