新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

僕のアメリカはどこに行った

 トランプ先生の所業には正直あきれ果てているのだが、米国内では厚い支持層を持っていて悪夢のような大統領再選の目も十分にあるという。「トランプ大統領誕生は、原因ではない結果だ」とする意見も聞いたことがあり、それならばトランプ弾劾などという事態になっても、次のトランプが現れるだけ。もっと激しい人物になるかもしれないというリスクすらある。

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 友人に勧められて、こんな本を読んでみた。著者の二人は気鋭の政治学者、民主主義の死というショッキングなタイトル同様中身も重たいものだった。要するに民主主義のルールに則って政権に就いた人物は、常に独裁者に変幻する可能性があること。それを防ぐための、自制や見識が求められることとそれを担保するための周辺の仕掛けが、法的なものではないが米国には存在したことが語られる。

 

 この仕掛けを作者たちは「柔らかいガードレール」と称して、これまでの間有効に機能してきたという。それが、30年ほど前から徐々に崩れ始めたと主張する。その予兆として2大政党の対立が政策競争よりも、相手を罵倒する方向に動いたことを挙げている。共和党の方がその傾向を強めているようだが、これは政治家だけの責任ではなくメディアに「より過激なニュースコメンテーター」が増えてきたこともあるという。

 

 メディアは大衆の意向を反映するものだ。視聴率という魔物によって、反映したものしか生き残らない仕組みになっているとも言える。それが結局トランプ大統領を生んだとの論旨である。本書はペルーのフジモリ大統領やトルコのエルドアン大統領、トランプ先生同様政治の素人だが産業界の大立者だったヘンリー・フォードなど多くの米国内外の例をひきながら民主的に選ばれた/選ばれそうになった独裁者の挙動を評価する。彼らの活動には似たパターンがあって、

 

 1)裁判所や警察機構など司法を抱き込む

 2)政敵を徹底的に糾弾し、必要とあれば追放や収監させる

 3)自分に都合のいいように選挙区や選挙制度、ひいては憲法まで変える

 

 という。僕が本書を読んで暗たんたる気分になったのは、中学時代からアメリカンミステリーに傾倒したため英語はからっぺただが、思考パターンは1930年代のアメリカ人になっていたからだ。当時のアメリカはまだ若く、柔らかいガードレールも生きていて希望にあふれていた。それに比べて自分の住んでいる日本の田舎はなんとひどい・・・と思っていたからだ。そのアメリカ、どこに行ってしまったのでしょうね。