新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

一式戦闘機「隼」

 日本海零式艦上戦闘機、通称ゼロ戦(本当はレイ戦というのが正しい)に比べ、陸軍一式戦闘機「隼」は後世高い評価を受けていない。零式とは紀元2600年(1940年)に制式採用されたことを意味する。つまり一式戦は、1941年日米戦が始まるその年に採用になっているわけだ。これでは、開戦時に十分な配備が行えるはずがない。
 
 もともと陸軍の仮想敵はソ連であり、南方作戦を練る時間は十分ではなかった。厳寒に見舞われるとしてもなだらかな平原が続く旧満州から東シベリアとは違い、広い海に隔てられた島嶼や密林が続く大地が舞台になる。上陸作戦支援にためには、長い航続距離を持った戦闘機が必要になった。これは零式艦上戦闘機と同じニーズである。

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 陸軍は格闘戦性能や操作性に非常に優れた「97式戦闘機」を持っていたが、航続距離は足りず武装も7.7mm機銃2門では貧弱すぎた。そこで開発名称キ43として、新型戦闘機を開発したのである。結果として、1年前に海軍が制式採用した「零戦」によく似た機体が出来上がった。エンジンも1,000馬力級で大差はない。しかし、いくつかの違いがある。
 
 武装は12.7mm機関砲2門に強化されたが、零戦の7.7mm×2、20mm×2に比べるとカタログスペックでは劣っている。これは、構造上翼に機銃等を搭載できなかったことにもよる。ただ零戦の20mm機関砲は、装弾数も少なく射程も短いので実戦ではあまり役に立たなかったとする資料もある。
 
 次に、操縦士を守るための防弾版や燃料タンクの防御は優れていた。海軍機が燃料タンクに被弾すると漏れた燃料が引火してしまうのに比べ、ゴムでタンクをおおって漏れにくくしてある。
 
 とかく海軍に比べて人命を軽視したと思われがちな日本帝国陸軍ではあるが、こういう点では人命軽視ではなかったのである。もともと艦上戦闘機というのは航空母艦上での運用を前提にしているので、大きさや滑走距離など制約が大きい。一式戦「隼」の方が、設計に余裕があったのかもしれない。
 
 さて100機にも満たない配備機で、一式戦「隼」は華々しいデビューを果たす。マレー半島ビルマ(現ミャンマー)で活躍し、連合軍の航空機を追い払った。二式戦「鍾馗」、三式戦「飛燕」が登場しても前線に留まり、大戦後期の2,000馬力級戦闘機P-51などとも互角に渡り合ったという。