新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

本能寺の変、異聞

 加藤廣は2005年本書でデビューしたが、その時すでに75歳。異例の遅咲きデビューであった。とはいえ、職業を選ぶのに何歳からがいいかという話で、「バレエのプロになろうとするなら3歳でも遅い、作家ならば40歳でもいい」というのがあるから、あながち無理な話ではない。まして作家デビュー前に、何冊ものビジネス書を著わしている人であれば。

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 出版当時小泉首相が愛読していたという話が伝わったこともあって、好調な売れ行きを示した。その後「秀吉の枷」「明智左馬之助の恋」と本能寺三部作などを発表、独自の視点と迫力ある筆致で記憶に残る作家となった。
 
 「信長公記」の作者である太田牛一を主人公に、本能寺の変に倒れた信長の遺体が某所にあるのではないかという謎が、徐々に解き明かされてゆく。本能寺は焼け落ちてしまい、信長の遺体も共に焼けてしまったというのが定説である。ただ遺体が見つからなかったのは確かで、それゆえ重傷を負った信長は薩摩まで落ちのびそこで死んだという説を唱えた作家もいた。
 
 一方実行犯である明智光秀についても、彼をそそのかしたのは徳川家康であるとか、羽柴秀吉であるという説も出ている。小栗栖で死んだはずの光秀は影武者で、「主犯」の家康に救われた光秀は天海僧正と名を変え、100歳を越えるまで徳川幕府に仕えたとした書もある。本書は綿密な史書の調査と独創的な発想で、非常に説得力のある仮説を提示している。これに拠れば、
 
 ・忠実な部下であった光秀がなぜ主を討つことを決意したのか?
 ・信長がなぜ防備の薄い本能寺を宿舎に選んだのか?
 ・秀吉がなぜ「大返し」に成功して光秀を討つことができたか?
 
 が合理的に説明できる。そもそも尾張半国を治めるのが精いっぱいだった織田信長が、並みいる戦国大名を押しのけて天下をとるところまで行けたのかもわかる。キーワードは「エンジニアリング」だった。歴史ミステリーのジャンルでは、間違いなくベスト3に入る傑作ですね。