新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

天皇の島の70日間

 パラオ諸島第一次世界大戦後、敗戦国ドイツから戦勝国日本に割譲された。ほぼ日本の真南に位置し、南太平洋の中でも良港がある。基本的にはサンゴ礁の島で、いまでもほとんどの島が無人島だ。日本からのスキューバダイビング客も多い。

 
 しばらく日本の統治時代があったことから、住民もカタコトの日本語を話したりする。日本軍にとって敗色濃い1944年9月、米軍は巨大な戦力をこの島々に向けた。中でも比較的大きな島である南端の島ペリリューには、航空母艦11、戦艦3、巡洋艦25、駆逐艦30他の大艦隊を向けた。ここには南太平洋最大の航空基地もあったから、当然攻略対象になった。

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 守備隊は関東軍の精鋭である歩兵第二連隊基幹の約11,000名。最終的にほぼすべての戦闘員が戦死しているが、代償として米兵2,300名あまりが戦死、負傷者も9,000名ほどに上っている。この結果は、艦砲射撃・航空支援・装甲支援の全てがあり、火炎放射器やナパーム弾の新兵器がありながら米軍が負った被害であるならば、信じがたい数字である。
 
 これ以前にはギルバート諸島タラワの激戦があり、この後には有名な硫黄島の闘いがある。米軍は上陸作戦を戦術的にも、作戦的にも向上させてきたが日本軍も同様に経験を積んでいた。日本軍側としては、精神的支柱としての天皇のおほめの言葉を11度も受けるという異例中の異例の事態を受けて、事実上最後の一兵まで戦ったからだとも思われる。
 
 戦術として、沖縄の糸満漁師を集めた部隊が「人間機雷」として上陸用舟艇輸送艦に自爆攻撃をかけるなどは、今の沖縄の事情を考えると涙を禁じ得ない。またほとんど時代遅れの戦術と思われる「斬り込み」。これに悩まされた米軍が「斬り込みを止めてくれたら、艦砲射撃や航空攻撃を止めてもいい」と提案(?)したというが、そのくらいの威力だったというのも信じがたい。
 
 米軍が3日、長引いても1週間で片付くと考えたペリリュー島攻略は70余日を要した。戦後、今上天皇が高齢にもかかわらずペリリュー島を訪れることを希望されたのは、ここが「天皇の島」だったことに由来するのかもしれない。