新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

Diable Rouge / Red Baron

 第一次世界大戦の新兵器と言えば、航空機・潜水艦・毒ガス・戦車などが挙げられるだろう。「殺し合いともなれば、人間の発明の能力は無尽蔵」とUボートエースのペーター・クレーマーが話しているように新兵器は続々登場する。その中で航空機は最初は偵察に使われ、相互の航空機が接触するようになってお互いを敵と認識し始めたのが第一次世界大戦の初期の事である。

 
 自動車の普及も十分でないころ、航空機に乗る訓練を受けられるのは富裕層/貴族の子弟しかありえなかった。第二次大戦になっても、多くの国がパイロットは士官であったことがその証拠でもある。ちなみに日本軍は「庶民」からもパイロットを輩出する社会システムを作り上げた世界有数の「民主的な軍隊」であることは評価すべきだと思う。

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 さて第一次大戦の空中戦の英雄と言えば、この人を挙げないではいられないだろう。マンフレート・フォン・リヒトホーフェン大尉、空中戦そのものが黎明期だった時代、80機という撃墜記録を持つ伝説のエースである。
 
 第一次大戦当時は騎兵少尉であり、東部戦線でロシア軍と戦った。あだ名(Red Baron)の通りプロイセン貴族である男爵家の出身であり、戦線の偵察指揮官として行方不明になり死んだと思われたこともある。当時すでに騎兵は決戦兵力ではなく、機動力を活かした偵察部隊であった。偵察将校だった彼は、より高速で広範囲を偵察可能な航空機に興味を持つ。
 
 子供のころから狩猟を得意としていた彼は、銃を撃つタイミングを捉えることに長けていたらしい。第二次大戦の有名なエースパイロットであるハンス・ヨアヒム・マルセイユが放った銃弾は、何もない虚空に向かっているがそこに敵機が入って来て命中するともいう。彼らは地上と違う速度と3次元機動の感覚を持った特殊な人たちだったのかもしれない、例えば音楽の世界の「絶対音感」のような何かを持っていたのだろう。
 
 連合軍のエースパイロットを仕留めたリヒトホーフェンは、自機を赤く塗り目立つようにして敵機を誘引しスコアを上げていった。彼の率いる戦闘機団はやがて全機が赤い塗装をし、「リヒトホーフェン・サーカス」と呼ばれた。フランス軍は彼を、"Diable Rouge"赤い悪魔と呼び、イギリス軍は"Red Baron"赤い男爵と呼んだ。そんな彼も頭部に被弾してから、以前のような冷静さを失ったと本書にある。
 
 最後の乗機は、フォッカーDr.I 425/17である。本書の表紙にあるような形状で、珍しいことに三葉機である。単葉より複葉、さらに三葉となると小回りが利き操縦性は増すようだ。コンパクトな機体であるにもかかわらず、翼面荷重が小さくなるためだという。しかし複数の敵機と地上からの対空砲火に挟撃されて、フランスのソンムで撃墜され命を落とした。享年25歳。
 
 死後リヒトホーフェン大隊の指揮官は、何人か出たがその中にヘルマン・ゲーリングというエースパイロットがいる。そう、彼こそナチス・ドイツの航空大臣・空軍司令官になった人物である。