中学でミステリーにはまり、高校でカメラを始め、大学も終わりごろになって3番目のものがやってきた。それはシミュレーション・ウォー・ゲーム。今ではシミュレーション・ゲームというと、PCもしくはゲーム機のそれを思い浮かべる人がほとんどだろうが、当時はマップの上に紙のコマを並べてサイコロを振る、というのが主流だった。もともとは軍人の教育用のものを、民間人向けにリメイクしたものらしい。
映画 "The Hunt of Red-Octorber" は、東西冷戦時代の大西洋での海戦ゲームを下敷きにしているようだ。原作者のトム・クランシーは、このとき熱心なゲーマーであるラリー・ボンドを共著者にしていた。本場の米国では、毎年大掛かりなコンベンションも行われていて、新作ゲームの紹介やプレイするイベント、即売会などが催されていた。
日本では、ホビー・ジャパンなどがアバロン・ヒル製のゲームに日本語ルールブックを付けて販売していたほか、エポックやバンダイが独自のゲームを開発・販売し始めていた。戦記や戦争の歴史が好きだった僕は、「歴史を自分で書き換えられる」といううたい文句に全く抵抗できず、ゲームはもちろん関連雑誌(タクティクスというのが有名だった。最初季刊だったが、やがて月刊になる)やアニュアルレポートまで買い込んだ。
休日になると、コタツの上にヨーロッパの地図が現れドイツ軍の空挺部隊がパリに降る、モスクワ前面で、ソ連軍の戦車軍団が奇跡のサイコロの目を出す、ノルウェー沖で英国海軍がドイツの新戦艦を捕捉し撃沈する、地中海でスペインがイタリアの同盟国として参戦し英領ジブラルタルに襲い掛かる・・・という次第。
「歴史を書き換えられる」は無理にしても、なぜあの時こうしなかったのだろうと思っていた疑問のいくつかは解けた。少なくとも歴史を追体験することで、少し立体的な世界の見方はわかったような気がする。やはり、これは教育用ツールですね。