新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

撃ちてし止まむ

 第二次世界大戦における日系アメリカ人の苦難については、山崎豊子「二つの祖国」などで紹介されている。この書はNHK大河ドラマにもなって、日系二世部隊の存在や活躍は広く知られるに至った。本書は、2003年にノンフィクション作家である渡辺正清が、日系二世部隊の生き残りや関係者と深く交流して著わしたものである。

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 真珠湾攻撃の前から「敵性外国人」と米国政府からみられてきた日系人たちだが、自由と民主主義の国で生まれ育ってきた「アメリカ人」であると自負していた。彼らを集めて編成された第442連隊は、南部ミシシッピー州などで訓練を受けた。多くのものがハワイ出身だったが、初めて見るアメリカ本土の広さや寒さに戸惑ったという。
 
 訓練した米軍教官は彼らに高い評価を与えている。彼らは平均160cmほどの身長ながら、重装備を付けて2.5mのカベを越えることができる。完全装備で5.3km/時で進撃できる。身長の高い普通の米軍人は4km/時そこそこなのに、である。
 
 彼らは1943年に欧州へ派遣されイタリア戦線やフランス戦線で戦った。1944年にはドイツ軍がフィレンツェの北に敷いた「ゴシックライン」攻略戦に投入され、13,000名のバッファロー部隊(黒人兵中心)が5ヵ月かけて攻略できなかった高地を、4,000名たらずの兵力で30分あまりで奪取する活躍を見せている。原題の「Go for Broke!」はこの部隊の合言葉で、意訳すると「撃ちてし止まむ」というところだろうか。
 
 高地奪取に続く戦闘で、第二大隊のイノウエ中尉は単身ドイツの迫撃砲陣地を破壊した。自動小銃(BAR?別の資料では短機関銃ともある)を撃ちまくって接近、手榴弾2発を放り込んだ後3発目を投げようとした右腕を撃たれた。右手は手榴弾をもったまま脇に転がった。彼はこれを左手でつかんでドイツ陣地へ投げ込んだ。その後も左手で自動小銃を撃ち続けたという。
 
 彼は医学部の学生だったが、負傷によって医師の道を断念し政治家になった。日系人初の下院/上院議員となったダニエル・ケン・イノウエ氏である。彼が2012年に死去した時、当時のオバマ大統領は「真の英雄を失った」と悼んだ。その後ホノルル国際空港は「ダニエル・K・イノウエ空港」と改称された。日本人としては、空港で敬意を表すべきですかね。