新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

私立探偵の矜持

 「男はタフなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」とは、ロサンゼルスの私立探偵フィリップ・マーロウの有名なセリフである。レイモンド・チャンドラーは、マーロウものの長編を7つしか残さなかった。フレミングの007ものの12作よりも、さらに少ない。それでも何度も映画化・TVドラマ化されていて、視聴者にはなじみの探偵である。

 
 日本でも、2014年にNHKが「長いお別れ」を土曜ドラマとして放映した。舞台を終戦後の日本に移し、マーロウ役は浅野忠信が演じていた。それなりに面白かったが、僕の中ではマーロウはロバート・ミッチャムが一番合っている。この方名うての大根役者と言われるが、マーロウ役にはあまり激高したりおどけまわるシーンはなく、大人の男を演じていればいいので「はまり役」だと思う。

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 本編「高い窓」は、1942年の作。(1943年との資料もあるが誤差の範囲か?)7作中3作目にあたる。富豪の未亡人から、亡夫のコレクションから紛失したコインがあり、嫁が失踪しているので彼女を捕まえてコインを取り戻してくれとの依頼がある。
 
 ターゲットは嫁ではなくコインということや、息子にはコンタクトするなという制限を未亡人はかけてくることにマーロウは戸惑う。失踪した人がいれば、その夫から立ち回りそうな場所や交友関係を聞くのが当たり前だろうに。
 
 このマードック家は、未亡人・その息子・嫁に加えて未亡人の秘書までが秘密を抱えている「崩壊家庭」のようだ。なまじ財産があるだけに、コイン商・クラブの経営者・用心棒・失業中のバーテンなど怪しげな人物がまとわりついてくる。
 
 捜索を始めたマーロウだが、いつものように殺人現場の発見者になってしまう。本編ではご丁寧にも3回死体と遭遇する。マーロウの目標は、殺人犯を挙げることではない。未亡人に依頼されたコイン探しとも言いづらい。事件の背景を探って「困っている人を見つける」努力をしているかのようだ。未亡人からは「あんたなど雇うんじゃなかった」と怒鳴りつけられても、スタンスにブレはない。
 
 そして過去の謎や殺人犯などはわかるのだが、大団円はそれらではなく心身ともに傷を負った娘を、親元に送り届けるというところで終わる。現場に残った$500を娘の再起のために「流用」してしまうなど、法を無視したような行為もある。マーロウの私立探偵の矜持として、優しさが前面に出てきている。これって、チャンドラー流の「大岡裁き」なのかもしれない。