防衛省(当時は防衛庁)は山手線の中心に近い市ヶ谷にあるのだが、これは官僚組織。山手線内にある実戦部隊というのは、陸上自衛隊第32普通科連隊だけなのだそうだ。自衛隊は憲法の規定により軍隊とは呼べないので、「自衛」のためのものという名を付けられている。ただ海外で「Self Defense Force」といっても全く通じない。何で「Japanese Army」と呼ばないのかと不思議がられるだけだ。本書の著者福山隆は西部方面総監部幕僚長・陸将で退官した自衛官で、地下鉄サリン事件当時は第32普通科連隊長・大佐であった。
彼は韓国防衛駐在官から、この連隊に着任するときもっと現場に近い北海道などの連隊長を希望したが都会のド真ん中に赴任することになり困惑したと書いている。まだ東西冷戦の感覚が残っていたころで、最前線はやはり北海道、最強と言われた第七師団も北海道にいた。しかしこの連隊、かつての近衛師団の流れを汲むと自認し、士気も練度も高かったという。それでも突然最前線に引っ張り出されるとは、連隊長以下だれも思わなかったろう。
地下鉄サリン事件は、1995年3月20日にオウム真理教が起こしたテロ事件であり、霞ヶ関に通じる複数の地下鉄路線で猛毒のサリンが撒かれて死者12名、負傷者多数を出したものである。本書は現場に出動した自衛官の回想を混ぜてヴィヴィッドに綴られている。
現場の尽力には敬意を表しながら、ひとつだけ気になることがあった。福山大佐が受けた命令は「毒物を検知し、これを除去せよ」というもので、治安出動ではなく災害派遣だったことだ。大佐自身が戸惑ったことが記載されている。この2ヵ月前、阪神淡路大震災への出動は災害派遣でいい。しかし、相手はテロリストだ。毒物を撒いただけでなく、救援に来た消防署員や警察官に新たな攻撃を加えるかもしれない。実際オウムは自動小銃なども持っていたわけであり、それを防げるのは武装した自衛隊だけだ。しかし、災害派遣では武装して現地に赴くことはできない。