新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

核戦争の危機とファンタジー

 フィリップ・K・ディックという作家も、不思議なひとである。スタンリー・エリンとも、G・K・チェスタトンとも、ロアルド・ダールとも違う。作品もSFというべきか怪奇ものというか、区分しづらい。一番大きな括りで、ファンタジー作家というのが適切なように思う。

 
 長編「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」(これもけったいな題目だ)は、ハリソン・フォード主演の「ブレード・ランナー」の原作となり、短編「追憶売ります」はアーノルド・シュワルツェネッガー主演の「トータル・リコール」の原作となった。いずれも特異なシチュエーションの映画であり、印象に残っておられる向きも多いと思う。

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 この短編集には12の、ある意味雑多な短編が収められている。長さも不ぞろいだし、テーマもバラバラだ。最初に読んだのは、多分高校生のころ。特に好きな本格ミステリーでもないので、すっかり忘れていたはずだが巻頭の「おもちゃの戦争」と巻末の「地図にない町」は覚えていた。
 
 全ての作品は一般的な日常を描いているように見えて、何かが歪んでいる。例えば、時間・空間・生物/無生物の境・エネルギー等々。単発ものの短編には、こういう歪んだ特異なシチュエーションを盛り込みやすい。本書の短編ではないが、普通に夫婦の会話が続いて最後の1行でそれが宇宙人夫妻だったことがわかるという筋立ても考えられる。まあイカサマのように思う読者もいるだろうが、そこは大目に見て驚いてあげた方がいい。
 
 本書の発表は1953年、朝鮮戦争が終わったころで、世界は本格的な核戦争に怯えていた。いくつかの短編は、核戦争後の荒廃した地球を舞台にしているし、放射能の影響で健康を損ねた人たちも登場する。(それを治療できるのが魔女だというのが、ディック流)
 
 米ソの全面核戦争を扱った、ピーター・セラーズ主演「博士の異常な愛情・・・」(1963年)やネビル・シュート著「渚にて」(1957年)よりは少し早い時期ではあるが、核戦争の恐怖が米国社会を覆い始めていたのだろう。著者はそれを敏感に感じ取って、ファンタジーの形で警鐘をならしたのかもしれない。再び「弱肉強食」の時代を迎えようとしている今、ちょっと不安な気分で読み終わりました。