作者の宮脇俊三という人は、中央公論社の役員まで務めた後は好きな鉄道を追いかけて、中国、シベリア、インドまでも行ったうらやましい人である。在職中から金曜日になると落ち着かないという理由は、来週金曜日の夜行列車の予約をするかどうか迷うから。かなり徹底した鉄道マニアで、ついには会社を辞め、当時の国鉄総延長約20,000kmを乗り潰したという紀行、「時刻表2万キロ」でデビューした。
鉄道マニアにはいろいろなタイプがあって、乗り鉄、撮り鉄、キップ収集、書籍収集、模型作りなどはすぐ思いつくが、特異なものとしては「廃線跡マニア」というのがある。周りからは、ただの草むらに向かってカメラを向け、「〇〇駅の跡をついに見つけた」などと叫んでいるので、「あな、きちがひなめり」と思えてしまう。宮崎先生は、もう少し品良く「鉄道考古学者」と言っている。
作者は、沖縄、大分、北海道、長野、島根、福島のほかサイパン/テニアンまで巡って廃線跡をあるいたり自転車で廻ったりしている。沖縄には戦前6本の鉄道と軌道(軽便鉄道)があったが、昭和初期までに2つが廃止され残った4つも戦火で消えてしまった。そのうち最長だった沖縄県営鉄道那覇・嘉手納間は、約33kmを1時間15分ほどで走ったという。
その路線は那覇市安里から城間(ぐすくま)に抜け、その後は現在の国道58号に沿って嘉手納までつながっていたようだ。僕らの定宿「ムーンオーシャン宜野湾」に近いところを、北谷を経由していったのだろう。この辺りは、滞在中何度もレンタサイクルで通った経験がある。