新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ヘンリー・メリヴェール卿登場

 第一次世界大戦時の海軍大臣ガリポリ上陸作戦の失敗を経験したウィンストン・チャーチル卿は、第二次世界大戦の勃発で「戦時首相」の職に就く。本書の発表1934年当時は、政権から距離を置き不遇をかこっていたころである。それでも有名人であったことに間違いはなく、ジョン・ディクスン・カーは別名のカーター・ディクスン名義で書くシリーズのレギュラー探偵に、チャーチルを模したキャラクターを起用した。


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 通称「H・M」、陸軍省情報部部長、ヘンリー・メリヴェール卿の登場である。大兵肥満、はげ頭、ものぐさで不平屋であり、見目好いキャラではない。名探偵なので頭は悪いはずはないが、性格がいいとはお世辞にも言えまい。これが当時のチャーチルに対するイギリス大衆の印象だったのだろう。ちなみにカーター・ディクスンは米国生まれ米国育ちながら、英国暮らしが長く「米英作家」として紹介されることも多い。ネイティブではない感覚で英国の政治家をみていたのかもしれない。
 
 本書でデビューしたヘンリー卿は、以降22作の長編に登場し、ディクスン・カー名義のフェル博士と並ぶレギュラー探偵となった。幽霊屋敷で暗闇の降霊術が行われている最中、石室に籠った降霊術師が殺されるという事件が起きる。オカルト好きのマスターズ警部も現場に居合わせたのだが、天井・床・壁・扉・格子窓に細工のあとはなく、さらに石室の周りに犯人のものと思しき足跡もないという2重の密室の中での犯行である。
 
 現場には先日博物館から盗まれた「絞刑吏の短剣」が残されていたが、先端が円錐形の突くだけで斬る機能のないものだった。これには死んだ絞刑吏の呪いがかけられているらしい。カーター・ディクスンの歴史趣味・オカルト趣味は有名で、彼は後年科学捜査の存在しなかった歴史もの・剣劇ものを多く書くようになる。その傾向は初期の頃からあったようだ。
 
 有能な警官であるマスターズ警部も、かくも奇怪な事件を通常の尋問・聞き込みでは解決できず、陸軍省にヘンリー卿を訪ねることになる。その後、もう一人の犠牲者や別の失踪者も出るのだが、ヘンリー卿は犯行現場である石室に関係者を集め密室殺人の再現をして見せる。
 
 冒頭読者に付きつけられる不可能犯罪から、アクの強い探偵役の登場と関係者を集めたクライマックスに至るまで、典型的な本格ミステリーである。特に本書は、この作者のベスト3に挙げる評論家も多い名作である。最近600~1,000ページ級のアクション・戦争物を読むこともあるので、300ページで事件を解決してもらえると、ほっとする面もありますね。