新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

浴槽から大海へ

 テリー・ヘイズという人はジャーナリストだったが、映画「マッドマックス2」から脚本を書き始め、クリフハンガー・サラマンダー・フライトプランなどの脚本を手がけた才人である。彼が、2012年小説家としてのデビューを果たしたのが本作「ピルグリム」である。

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 作者あとがきの冒頭に、「映画の世界は浴槽で泳ぐようなもの。小説の世界では大海で泳ぐことになる」との引用をしている。「マッドマックス2」は1981年公開だから、ほぼ30年間映画という浴槽にいた彼が、大海に泳ぎ出る覚悟を示した言葉だろう。資金や期限、キャスト、監督、興行主らの意向や制約の中に閉じ込められる映画の脚本に比べ、自由な発想で書けるということが言いたかったのだろう。それは正しい。
 
 最近「映像化不可能と言われていたこの作品が、CGの進歩で映画になりました」などのコピーを目にする。小説の世界に映画が近づいているとはいえ、まだその差は十分あると思う。
 
 さて本作だが、原書で700ページあまり、翻訳文庫版で1,100ページを超える大作である。<ピルグリム>という伝説の諜報員が、アメリカ全土に破壊をもたらそうとするテロリスト<サラセン>を追跡する話だ。
 
 仕掛けの大きさではトム・クランシー並み、緻密な捜査方法ではジェフリー・ディーヴァー並みの大型新人(30年のキャリアの方に新人とは失礼だが)と思う。<ピルグリム>も<サラセン>も卓越した諜報員であり、テロリストだが、荒唐無稽な超人ではない。ミスもするし、悩みもする。メインストーリーに、いくつものエピソードが盛り込まれていて、二人の過去がフラッシュバックしてくる。
 
 大作になったのは、エピソードが多いからもある。各エピソードは短編小説にしてもいいくらいのもので、それだけで完結している。<ピルグリム>は「わたし」と名乗るが、レイモンド・チャンドラーのように全編一人称で通すわけでもなく、視点がバラけるきらいはある。エピソードが多すぎて、メインストーリーのテンポが遅く感じる読者もいるかもしてない。これは好みの分かれるところだろう。
 
 それにしても「007シリーズ」のような、古典的なスパイ小説とは次元の違うリアリティとサスペンスをもたらすように、昨今のスパイものは進化したと思う。