新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ジム・トンプソン事件を追うマルコ

 1967年3月、バンコク在住の絹ビジネスマンであるジム・トンプソンは、マレーシアの高級別荘地キャメロンハイランドで消息を絶った。8月にはアメリカ在住の実姉が殺害されるという事件もあったが、いずれも未解決のままである。ジム・トンプソンのシルクは今でもタイのお土産の筆頭に揚がる名産品だが、彼はCIAの前身であるOSSのメンバーとしてノルマンディ上陸作戦を支援するなど、軍人としても諜報員としても有能な人物であった。

 
 彼は、ドイツ降伏後インドシナに赴き対日作戦に従事したのだが、早々に日本軍が降服してしまい。インドシナで何か作戦に関与したという記録はない。ただ、赴任したタイを気に入った彼は戦後もここに留まり、ビジネスマンとして以後の20年を過ごした。

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 世事に敏感なジェラール・ド・ヴィリエは、さっそく翌1968年にジム・トンプソン事件を下敷きにしたプリンス・マルコシリーズの1編を発表する。この作家、年間4冊以上という驚異的な執筆速度をもちながら、毎回の舞台を詳しく描写する取材をしているようで、その精力はマルコのナンパ能力(?)にも匹敵する偉大さといえよう。
 
 マルコをCIAに紹介した過去を持ち、マルコの友人でもあり師でもあるジム・スタンフォードが失踪、その後アメリカ在住の実妹が何者かに惨殺されるという事件が起きる。ジムはバンコクで絹商人としてビジネスを拡げていたのだが、クワイ河のほとりに愛車を残したまま失踪してしまったのである。
 
 しかし現地のCIA機関もジムの妻も、何も行動を起こさない。CIAの依頼を受けたマルコは、今回は報酬のためだけではなく、バンコクに赴く。クワイ河メコン河の源流のひとつ、クワイ河マーチや映画「戦場に掛ける橋」で名を知られている。その橋の周辺には、橋の建設に携わった英国軍人捕虜などの墓地もある。
 
 結局現地CIA機関ホワイト大佐は、自らは小指1本動かさず10代のタイ人秘書を貸してくれただけ。例によって見知らぬ異国での単独捜査が続く。蒸し風呂のような街でも上衣とネクタイは外さない(外すのは女性のまえだけ、その時はもっと外してしまう)欧州貴族のマルコがかすかな手掛かりを求めて動くと、その先々で死体と魅力的な女性(大半はその後死体になる)が現れる。
 
 ずっと五里霧中の捜査が続くのだが、マルコはジムの生存を確信するようになり友人を救出すべくより危険な捜査にのめり込んでゆく。どうも旧日本軍の武器(終戦から20年経ってますが)を、タイ南部の共産ゲリラに送っている地下ルートがあることが分かる。捜査に向かった官憲に火をふくのは、5.5mm口径の南部機関銃だった、調べてみたが、これは6.6mm口径の96式軽機関銃のようだ。もうひとつの主力軽機関銃99式は7,7mm口径で、南部ではなく日立工機製である。
 
 フライトについても面白い記述がふたつあった。ひとつは、スカンジナビア航空アメリカ・バンコク便。東海岸からコペンハーゲンアゼルバイジャンを経由してバンコクへ向かうというもの。まだ冷戦期だが、ソ連領内を飛べるのだ。マルコは当然ファーストクラスで、キャビアウォッカである。
 
 二つ目は、バンコクからクアラルプールへ飛ぶタイランド航空便。ファーストに空きがなくツーリストクラスに乗ったマルコにも、豪華なランチが出る。CA曰く「タイランド航空の機内サービスは世界一です」。当時はまだスワンナプーム空港はなく、国際空港はバンコク北のドンムアン空港だ。多少は知っている地域だけに、50年前への小旅行をさせてくれる嬉しいマルコシリーズです。