新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ハリウッドのナバホ族

 以前エラリー・クイーンの「ハートの4」、レイモンド・チャンドラーの「かわいい女」を紹介している。前者は、第二次世界大戦がまだ始まっていない1938年の発表。映画が興隆していたころで、ミステリー作家も原作者として動員されていた。ハリウッドもまだ若く、気違いじみた世界だとエラリーは評しているが、乱痴気ぶりもまだ可愛いものだった。

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 後者は第二次世界大戦後で、アメリカそのものが上昇気流に乗っているのだが、地方との格差も目立ってきたころで田舎町から出てきた若者をハリウッドの怪しげなヤカラから守ろうとするマーロウの活躍が描かれている。
 
 マーロウの頃から20年、今度はジュラール・ド・ヴィリエがハリウッドを舞台にした1編を発表する。それがこの「インディアン狩り」。ハリウッドはまさに「爛熟期」にあり、巨大な利権が渦巻き富裕層は退廃を極めていた。マルコ・リンゲ大公殿下は、アメリカの公権力が手を出せないエリアでのミッションに就くことが多く、バハマバンコクブルンジ、香港などで命がけの活躍を強いられる。
 
 それが今度はハリウッド、ここがなぜアメリカの公権力が及ばないかというと、本書では「民主主義の国だから」と書いてある。つまり大金持ちの映画プロデューサが怪しいのだが、確たる証拠がないので手が出ないということ。
 
 そんな話はいくらでもあるのだが、起きた事件がアメリカの安全保障にとって非常に大きなリスクである仮説があったからマルコにミッションが下ったのだ。どういう事件かというと、ナバホ族の青年がメキシコ経由キューバに渡ろうとしたが途中事故で死んだというもの。
 
 それがどうして「大きなリスク」かは伏せられたまま、マルコはミッションに就く。えせ貴族的なパーティを繰り返す映画プロデューサらに近づくには、いかにも警官という手合いや海兵隊上がりのCIAではNGで、マルコのような本物の貴族が適当と判断されたからである。
 
 ここで描かれる大金持ちとその取り巻きの乱痴気騒ぎは、普通ではない。ドンペリをガブ飲みするわ、ドラッグはやり放題、マルコすらも鼻白らむ乱交パーティが繰り返される。映画プロデューサには確かに秘密の過去があって東側の手先となっているのだが、本人もなぜナバホ族キューバに連れて行かないといけないのかはわかっていない。プロデューサが、金にものを言わせて事件をうやむやにしようとする姿が痛々しい。
 
 珍しくアメリカで活動することになったマルコだが、いつものように美女に囲まれながら事件解決にはなかなか届かない。最大の謎は、何故ナバホ族が狙われるかということ。ヒントは、映画「ウィンド・トーカーズ」です。