新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

千草検事の登場

 土屋隆夫は1958年「天狗の面」でデビューした、日本の戦後の本格探偵小説第二世代を代表する作家である。横溝正史高木彬光ら戦後まもなく(昭和20年代)に芽を出させた探偵小説ブームを、昭和30年代に花咲かせたミステリー作家のひとりである。

 

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 同時期に世に出た作者に鮎川哲也がいるが、二人ともF・W・クロフツの影響を受けているように思う。本書も、物語の中盤になれば読者には殺人犯の目星はついてしまうだろう。しかし、デパートのエレベーターで学校長が殺されたとき、容疑者には小諸へ旅していたというアリバイがある。
 
 また第二の殺人の時も、現場から離れた自らの仕事部屋で他者からの電話を受けていたというアリバイが捜査陣につきつけられる。千草検事はじめ警視庁の刑事たちは、フレンチ警部ばりの地道な捜査でこの容疑者に迫る。
 
 本書の発表は1962年、「もはや戦後ではない」と経済白書が言った1956年から6年経つのだが、登場人物は「その言葉には反対だ。傷跡はいまでも残っている」と言う。これは作者のメッセージだろう。被害者の過去には、事故死・病死含めて多くの死者がいる。不幸になった子供たちもいる。被害者も殺人犯も、結局は戦争によって人生を狂わされているのだ。
 
 事件の本筋とは無関係だが、現場となるデパートやそのイベント、エレベーターを珍しがる修学旅行生、TV局のスタジオを初めて見て戸惑う刑事など、日本が近代の入り口にいたことがよくわかる。アリバイトリックを支えているのも、当時はまだ万人のものではなかった固定電話や二眼レフカメラ。なかなかうならせるトリックで、作者の代表作と紹介してあった書評には納得した。
 
 千草検事は妻と二人暮らしで仲睦まじいのだが、家に帰って妻に事件のことを聞かれると「俺は捜査本部に帰ってきたわけじゃない」と叱って亭主関白を決め込む。大家族の家長のような戦前の家庭風と、戦後の核家族の混在したイメージだ。いまどきそんな口をきいたら、僕など家から叩きだされてしまいますよ。