新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

グリンゴ、スペンサー

 前回中国からの不法移民の中に芽生えた犯罪組織と戦ったスペンサー、今度はヒスパニック系の犯罪組織との闘いである。今回の舞台はボストンの北の街プロクター、これも架空の街ではないかと思う。本書の発表された1995年は、日本ではバブルが崩壊しかけていたころ。米国では、空洞化が加速して旧来型の製造業は縮小・移転が相次いでいた。

 

 プロクターには大きな工場があり多くの従業員(主として白人)が働いていたのだが、工場が人件費の安いメキシコに移転してしまい、従業員も解雇され多くは転居してしまった。その空白地帯に住みついたのがヒスパニック系移民、多くは不法移民であるが強固な結束で自らを守っている。街の大半を実効支配するサンチアゴというギャングには警察も手を出せない。
 
 しかし街の一角にルイスという大男が住みついていて、これが小規模ながら強力な組織を率いている。ルイスはサンチアゴに母親を殺されたと思っていて、その凶暴さもあってサンチアゴも手を焼いている。そんな街の抗争にスペンサーが巻き込まれたのは、朋友であるベンソン部長刑事の若く美しい妻リーサが失踪し、さらにベンソンも撃たれて瀕死の重傷を負う事件が起きたから。スペンサーは、リーサ探しを病室のベンソンに約束する。

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 スペンサーはリーサの過去を探るうち、リーサとルイスが恋人関係にあった時代があり、リーサはルイスのところにいると目を付ける。スペンサーはロスアンジェルスからスペイン語を話すガンマンを招き、2人でルイスの組織を探り始める。チョヨというこの男、メキシコ人というよりは先住民の風貌をした凶悪な拳銃使い。白人のスペンサーを「グリンゴ(異邦人)」と呼んでからかう。
 
 スペンサーは自分でも「英語しか話せない」と自虐的に言うが、米国の中でも多くの言葉が使われるようになり、白人は取り残されてしまったような気分になるのかもしれない。これはトランプ先生の支持者たちの動機とも共通点があるだろう。いつの間にか「グリンゴ」になってしまったのだから。
 
 ロバート・B・パーカーは、スペンサーの捜査とスペンサーとスーザンの愛の巣を交互に描く手法をよくとる。本書では、ルイスに誘拐され監禁されるリーサの心情とスペンサーの行動が交互に短い章立てで積み重ねられる。テンポはいいのだが、リーサのシーンは三人称、スペンサーのシーンは一人称なので、(佐野洋先生流に言うと)視点が頻繁に動くので分かりにくい印象があるす。まあ、単にテクニックの問題ですけどね。