本書は「三人の戦争指導者に見る政戦略」と副題されていて、第二次世界大戦の戦争指導者3人(ヒトラー、チャーチル、ローズベルト)を、その戦略眼や政策実行力を評価したものである。3人と言ってはいるが、ヒトラー、チャーチルに各100ページを割いているのに比べ、ローズベルトには40ページ以下と付けたりのような扱いだ。
確かに米国の参戦は第二次世界大戦を決着させるに、最も大きなインパクトのある事件だった。それを惹起した大日本帝国の責任は、ある意味非常に重い。だが、米国とローズベルトの取り得た戦略は決して多くない。対日戦と欧州戦線にどう戦力を配分するか以上に戦略的選択肢があったようには思えない。だからローズベルトについて本書が多くを記述しなかったのは当然のように思う。
では戦略的選択肢を多く持っていたのは誰か?可能性があったが、本書の残りの2人ヒトラーとチャーチルである。ただヒトラーに関していうと、ポーランドからフランス戦までの勝利は良かったものの、その次の手は限定されている。史実通り海軍の不足から英国上陸はほぼ不可能だった。英国の補給路を断つ通商破壊戦にしても、主役のUボートが不足していた。であれば、ヒトラーは何より嫌いなスターリンの首を狙ってソ連し侵攻するしかなかった。
一方米国参戦までは防戦一方に見えた英国のチャーチル首相の方に、むしろ選択肢があった。米国を引きずり込むために日本を追い詰めることは当然として、国内に大きな反対のあった対ソ連援助もチャーチルはしてのける。二枚舌ではあるがイスラエル建国を約束して、ユダヤ民族を味方につけたのも思い切った策だった。
チャーチルは第一次世界大戦初頭にも、海軍大臣として戦争指導をしている。有名なトルコ海岸の「ガリポリ上陸作戦」を遂行、失敗して大臣職を辞している。その後は陸軍の指揮官として、もしくは最前線のジャーナリストとして大戦を生き抜いた。平和になって忘れられていたのだが、第二次世界大戦によって再び表舞台に登場する。
ワイマール体制に飽き飽きしていたドイツ市民が、極端な思想を持つヒトラーを求めたのも確かだ。チャーチルも戦争という異常事態に求められ、平和になって捨てられ、また求められるという数奇な人生を送った。単にチャーチルの伝記を読んだより、そんな思いを強く持った歴史書でした。