新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

「活人剣」新陰流の創始者

 「鬼平犯科帳」「仕掛人藤枝梅安」「剣客商売」「真田太平記」など膨大な歴史小説で知られる池波正太郎の初期の作品で、これまで文庫化されていなかったものを双葉文庫が集めて2007年に編纂したのが本書。著者の死後17年たってのことで、池波人気が衰えていないことを示すものだ。

 

 中編「上泉伊勢守」と6編の短編をまとめたもので、戦国時代から幕末に至る武芸者の人生や大名の周辺に起きる事件を描いたものだ。上泉伊勢守は剣豪として名を知られているが、前半生は戦国武将であり関東管領上杉家の陪臣だった。主君の長野業政が上杉家に仕えていたからで、上杉憲正の無能によって戦乱に巻き込まれる。

 

 当時の関東は越後の長尾景虎(後の上杉謙信)、相模の北条氏康、甲斐の武田信玄が覇を争う「三国志」の状況にあった。織田信長はようやく桶狭間今川義元を討ち取ったばかり、徳川家康は今川家の人質から解放されてほっと一息の小僧にすぎない。江戸はまだ沼と丘陵が連なる不毛の地である。

 

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 何度か伊勢守の戦闘シーンが出てくるが、剣ではなく騎乗で槍をふるっている。もちろん、「鬼神もこれを避く」活躍ぶりである。しかし長野業正の死後、同家は廃れて伊勢守も武将を捨てることになる。この時すでに剣の道は究めていたようで、新しい「陰流」である「新陰流」の秘伝を携えて諸国を歩きはじめる。

 

 途中柳生の庄に滞在し、柳生宗厳に手ほどきをしたことから「柳生新陰流」が生まれたという。その中心思想は「活人剣」。むやみに人を殺めず、無刀・手刀・無手の3つの術を使うというもの。人生については「人は天地の塵ぞ。塵なればこそのいのちを想い、塵なればこその重さを知れ。塵となりつくして天地に呼吸せよ」との言葉を残している。

 

 僕も還暦を過ぎて、人生そのものを考えることもあります。これはいい言葉を教えてもらったな、と思いました。