シリーズものならいざ知らず、全く新しい作者・作品で、小説として出版される前にTVもしくは映画になることは多くない。ところが本書に収められている長めの中編のひとつ「ラスヴェガスの吸血鬼」は、フリージャーナリストであった(当時26歳の)ジェフ・ライスが書き下ろして出版社に売り込みを掛けている最中に、いわゆる2時間ドラマに採用されてしまったという不思議ないわくを持つ作品である。
「ラスヴェガスの吸血鬼」は、1972年に全米ネットで放映されて、それまでの最高視聴率をマークした。本書のもう1編「シアトルの絞殺魔」も1973年に放映されやはりヒットした。その後1時間もののシリーズが制作されたが、TV局の体制変更もありワンパターン化して評判を失い、途中で打ちきりになってしまった。
2時間ドラマは抜群の視聴率だったことから日本での放映権に高値が付き、どの局も契約せず日本での放映には至らなかった。途中打ち切りのシリーズも、理由は別だが契約成立せず、「事件記者コルチャック」は日本のお茶の間には紹介されていない。
代表的なものとして、「ラスヴェガスの吸血鬼」を紹介しよう。ラスヴェガスの酒好きベテラン新聞記者カール・コルチャックは、血を抜き取られて殺される若い男女の連続殺人事件を追ううち、この犯人が吸血鬼ではないかと考え始める。
長身だがやせた男なのに、大男3人に押さえつけられてもハネ返し、プロボクサーの一撃を喰らってもよろめく程度。警官の拳銃で撃たれても死なないのだ。被害者の首には2つのキバの跡があり、5~6リットルの血液がほとんど死体に残っていない。極めて臭い息を吐くというところも、吸血鬼と同じだ。
300ページ中半分ほどを読んだところで、この犯人はどうやって吸血鬼の仕業に見せかけているのか僕はあれこれ考えた。スパイ物「ソロ対吸血鬼」(デビット・マクダニエル作)では、ヘリコプターが吸血鬼の人形を吊っていたというふざけたオチだったが、本書はそんなことはすまい。
ところがどれだけ読み進んでも、トリックのネタにつながる手掛かりが見つからない。最後にコルチャックが死闘の末、犯人(?)に聖水をかけ、弱ったところで心臓に木の杭を打ち込んで決着してしまった。新聞記者が追う連続殺人という設定、それにタイトルや表紙から本格ミステリーとして読んでいた僕が悪いのだが、まじめに考えただけ損をした気分になった。