新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

裁判員制度への道

 弁護士作家である和久峻三の得意領域はもちろん法廷もの、「赤カブ検事シリーズ」など連作ものもあるがこれらはある意味ビジネスとして書いているものだろう。本当に書きたかったのは、本書のような裁判制度やその歴史に関してのものではないかと思う。

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 本書の舞台は昭和4年(1929年)、陪審裁判が一般化して直ぐのころである。陪審裁判が導入されたのは、一般国民が裁判に関与し自ら裁くという主旨である。実施に当たって、天皇詔勅まで出したと言うから、政府の入れ込みようはかなりのものがあった。陪審員には一定額以上の納税をしている男性市民に限られ、官僚等特定の職業の人は対象から外されたと言う。
 
 一旦裁判が始まるとカンヅメになるから陪審員候補者はこれを避けようとしたかと思いきや、「市民の義務」として進んで参加した人がおおかったと本書にある。本書の建付けは、現在(1993年発表)法学部の学生である女子大生美帆が、80歳にもなる大先輩の日下部弁護士の話を聞く形で進められる。その対象となる事件は、銀行の頭取がピストルで射殺され、自宅に放火されたというものである。
 
 容疑者として拘留され裁判に掛けられたのは、頭取の若い妻(元芸者)と愛人関係にあったとされる呉服商の男。それが事実なら当時は単に「不倫」というだけではなく、「姦通罪」という立派な罪にあたる。男が頭取宅を訪れたことに間違いはなく、火の手が上がった午後530と午後430には頭取宅を出たという容疑者の供述のギャップが争点になる。
 
 容疑者のアリバイを否定した男の証言は陪審長の機転で退けられ、アリバイを証明する証人が登場する。しかし証人は法廷内で血を吹いて倒れ、救急車で運ばれたが射殺されていたことがわかる。法廷内からは銃も銃弾も見つからず、銃声を聞いたものもいない密室殺人である。。
 
 密室トリックはそれほど難しいものではなく、ややとってつけた印象がある。そんな謎を提起しなくても立派な歴史裁判ものとして通用したと思う。陪審制度はカネがかかり過ぎることもあって、大戦中の昭和18年に一時停止され戦後もそのままになったいたと本書にある。
 
 作中美帆が「経済大国と言われながら旧態依然の裁判制度なのはなぜ?」と日下部老人に問います。その答えが、今行われている「裁判員制度」なのかもしれませんね。