本書は岩井三四二が第五回の歴史群像大賞を得た、忠実な時代考証に基づいた歴史小説である。主人公は、若いころの斎藤道三。小説やTVドラマ等では濃尾地方をとりあげるのは織田信長時代以降がほとんどだから、斎藤道三は冒頭悪役風の老人として出てきて直ぐに殺されてしまう。「美濃のマムシ」というあだ名も、悪役イメージを助長しているようだ。
唯一若いころの斎藤道三を描いた有名な作品が、司馬遼太郎の「国盗り物語」。子供の頃に出家させられたものの還俗し、油売りから身を起こして美濃一国を「盗る」物語である。NHKの大河ドラマにもなって、新しい斎藤道三のイメージを作った。
しかし本書は、それも虚像だという。後の斎藤道三、長井新九郎は美濃の有力豪族の長男として生まれたとの説。父親の長井新左エ門尉が、還俗して美濃に流れてきたものだという。司馬説は、父親と本人の経歴をまとめてしまったものということ。
どちらの説が正しいかはともかく、本書のリアリティは相当なものがある。冒頭から「岐阜弁」が飛び出して驚かせられたが、これについては別の機会のご紹介したい。
合戦というと何万人規模で戦う話ばかりが小説やドラマで取り上げられるが、「相手は500人は集められる。こちらはここに30人、xx郷で50人・・・まず200人しか集まらない」などと戦力比較をしているところが出てくる。戦場の描写も秀逸とは言えないまでも、長い槍で叩きあったり、石礫を投げつけるなど実態を正確に描いている。長い槍は、頭上に振り上げて叩き下ろすのが通常の用法である。
よりリアルなのが経済面。ほとんどの土地に名目の領主はいるのだが、京都に留まっていて現地に来ることはまずない。代官を派遣して税を徴収させるわけだ。当然、領主が現場を知らないのをいいことに、代官は正当な手数料以上にネコババする。農民の側も隠し田を作ったり、作高をゴマ化したりして対抗する。極端な例では、隣郷との紛争に付け込んで代官を暗殺したり、代官所に放火して収税の基礎情報文書を破棄したりする。