新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

クライシス・コミュニケーション

 今年初めに三菱電機日本電気へのサイバー攻撃があったとの報道があり、いずれも1~2年過去のものだったにもかかわらず、しばらく世間を騒がせた。産業界ではこのような事態を受けて、改めて「クライシス・コミュニケーションどうあるべき」の議論が始まっているらしい。

 

 平時にどんなリスクがあるかを株主などのステークホルダーと意思疎通するのが「リスク・コミュニケーション」なら、有事に監督官庁含む外部とどう連携するかが「クライシス・コミュニケーション」である。今封切られている「FUKUSHIMA50」も、その種のシーンを扱った映画である。

 

 日本の歴史で一番大きなインパクトがあった「クライシス・コミュニケーション」と言えば、本書にいう「大本営発表」だろう。そういう意味で、本書を読み直してみた。著者は平櫛元陸軍中佐、大本営報道部員だった人。戦後自らが70歳を越え、複雑な思いを込めて本書を脱稿したとあとがきにある。

 

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 筆者が当該報道部にいた期間は長くなく、半分程度は太平洋戦争の経緯をたどったものだが、特に開戦前の高揚した気分などは当時の多くの国民と共有できたものだとある。開戦前に欧米からの情報を遮断し、言論統制を敷いていた大本営は、「リスク・コミュニケーション」としてメディアや各界と交流し、地方の「婦人会」などを通じて戦意高揚を図った。

 

 ただ開戦時には真実を伝えていた報道も、戦局の悪化に伴い不正確になっていく。例えば1944年の台湾沖航空戦では、

 

・撃沈 空母11、戦艦2、巡洋艦

・撃破 空母8、戦艦2、巡洋艦

 

 と発表されたが、その実空母2、巡洋艦4が損傷しただけだった。一方損害は未帰還機312となっていたが、その実600機以上が失われていた。このころになると、もはや海軍では敵を撃退できないことが分かってきた。すると「じゃあ俺の出番だ」と陸軍がしゃしゃり出てきたと本書にあるのは、「省益あって国益なし」と揶揄される霞ヶ関のロジックに思える。

 

 エピソードとして報道員が敵性国のスパイに買収されそうになった件や、大相撲の横綱をどう宣伝に使ったかなど面白いことはある。しかし著者自らが言うように「軍隊以外のことを知らないものが、ジャーナリスト(やその後ろの民衆)と接するのだから、うまくいくはずはなかった」というのが正しいだろう。もって他山の石とすべし、と思いながら巻をおきました。