75年前の今日は、硫黄島の栗林兵団が組織的抵抗を終えた日である。2週間前の3月10日は東京大空襲の日で、10万人以上の市民が犠牲になっている。グァムやサイパンからのB-29だけでもこれほどの被害を受けるのだから、東京からわずか1,000kmしか離れていない硫黄島は、日本軍にとっては死守しなくてはいけない島だった。
東条英機大将は、数ある将軍のうちから栗林中将を選んでこの島の防備を固めるよう指示した。中将は1944年6月に、幅4km、長さ8kmの涙滴型の島に赴任している。約2万の兵力こそあれ艦艇も航空機も払底している日本軍は、硫黄ガスの島に洞窟陣地を掘って身を隠す戦術に拠った。
一方の米軍にとっても、日本にとどめを刺すためには必要な島である。この島に飛行場を確保できれば損傷してグァムまで帰れない爆撃機を収容できるし、ここからなら爆撃隊に護衛戦闘機を付けることもできる。1月末にハワイを出港したミッチャー中将の第58機動部隊は2月16日に攻撃を開始した。戦艦6、空母12を含む大艦隊である。
本書はジャーナリストのR・F・ニューカムが、膨大な公式資料や個人の手紙・日記を読み込み、生存者や遺族へのインタビューを得てまとめた「実録」である。栗林兵団は、艦砲射撃・空爆・機銃掃射を受け、ロケット弾や重砲、戦車などの支援を受けた米軍に、洞窟陣地に立てこもり夜襲を繰り返して抵抗した。
攻撃の主力となったのは海兵隊。水陸両用の精鋭部隊だが、それでも日本軍の抵抗には手を焼いた。結果として2万人余の日本軍将兵のほとんどは戦死したものの、米軍も戦死(KIAとMIA)約7,000、戦傷約20,000、加えて3,000近い戦線離脱者(精神異常や極度の疲労)を出した。
海兵隊の死闘は伝説にもなっていて、何度も映画化された。ジョン・ウェイン主演の「硫黄島の砂」という映画を覚えている。先日見たNCISのビデオに、硫黄島で戦った古参兵が「戦友を殺した」と訴えてくる事件を扱ったものがあった。リーダーのギブス捜査官も海兵隊の狙撃手上がり。ラストシーンは古参兵とギブス捜査官が老寿司職人の握る寿司をつまみ、日本酒で乾杯して「センパー・ファイ」と声を合わせる印象的なものでしたよ。