本書は1927年発表の、ドロシー・L・セイヤーズの第三長編。いつものように、貴族探偵ピーター・ウィムジー卿が活躍する本格ミステリーだ。アガサ・クリスティーが名作を発表し始めていたし、米国ではヴァン・ダインがデビューしていたが、クイーンもカーもまだデビュー前。本格ミステリーの全盛期には少し間のあるころだが、セイヤーズの著作はそれらに比肩できるほど面白い。
加えて本書では、まだダイバーシティが考慮されていない英国の事情がユーモアをまじえながら紹介されている。本書には何人かの「老嬢」が登場する。最初の被害者アガサ・ドーソンも生涯独身だったし、年齢ははっきりしないがピーター卿に耳目となって働くクリンプスン嬢も高齢独身者だ。
作者はピーター卿の口を借りて「英国の資産である女性たちの働く場所が少ないこと」を訴えている。才気煥発なクリンプスン嬢も仕事には恵まれず、ピーター卿に見いだされるまではその能力を生かせていない。
ピーター卿とパーカー警部は、ひょんなことから2年前に変死したドーソン嬢の事件に関わることになる。体の不自由な彼女だが「遺言状を作ると早死にする」との思いが強く、世話をしてくれている遠縁の娘メアリが遺言状を求めても受け入れない。しかし良くねに遺産相続の法令が変わるという時、彼女は心臓発作とおぼしき症状で死んでしまった。
死因を疑った医師が検死解剖するのだが、毒は発見されなかった。法令改正というのは、それまでより相続人の資格を限定したもので、改正後にドーソン嬢が死ぬと自動的にメアリが遺産相続できるわけではなくなるというもの。当然疑いはメアリに掛かるのだが・・・。
クリンプスン嬢はドーソン家の周辺に住み込んで情報を収集し、ピーター卿とパーカー警部は事件の関係者(ドーソン家の家政婦、交流のあった婦人たち等)にあたる。そのプロセスがやや冗長なのだが、加えて随所にみられるシェークスピアなどの引用文が日本人には煩わしい。セイヤーズはクリスティよりは文学知識があったようで、どうもそれを示すために(差別化するために)引用を多用したのではないか。
医師を登場させ毒殺にみえるが毒が出てこないシチュエーションを考えたのも、元看護婦で毒を多用するクリスティへの挑戦だったのではないだろうか。それはともかく(当時としては)秀逸なトリックもあって秀作だと思いました。