新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

歴史探偵、芥川龍之介

 「猿丸幻視行」でデビューした井沢元彦も、知見の深い人だ。ミステリーよりも「逆説の日本史」など、歴史の研究書と呼ぶべきものを多く発表している。古代からの日本社会を冷徹な目で分析し、他の学者が触れなかったことを暴くことに情熱を傾けた。一方ビジネスとしていくつかの小説を書いているが、僕の読んだ範囲ではトリックや意外性、どんでん返しのプロットが群を抜いているとは言えない。

 
 しかし往々にして堅苦しくなりがちな歴史の研究を、ミステリー風の味付けをしてとっつきやすくする事にかけては屈指の作家であることは間違いがない。その特徴を良く表したのが本書で、作者の作品群のなかでも高く評価できる一冊である。
 
 大正のはじめ、横須賀の海軍機関学校で英語を教える嘱託教員芥川龍之介、25歳。鎌倉の下宿から学校に通っているが、週末は田端の実家に帰る生活をしている。すでに「鼻」などの作品で文壇デビューをしていて、いずれは職業作家をと考えているが、師の夏目漱石を亡くしたばかりで意気軒高とはいかない。一高時代の友人原田から、彼に持ち込まれた難題は、江戸時代のはじめ伊達家当主綱宗自筆の「桜下美人図」に隠された暗号があるから解いてくれないかというもの。

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 いわゆる伊達騒動(「樅の木は残った」という大河ドラマに詳しい)にからんで、この資料を使って悪役とされる原田甲斐という家老の汚名を晴らしたいと原田は言う。原田自身がその末裔だからだというのが理由。絵の中に約100文字の文書は見つけたのだが、伏字が多く訳が分からない。芥川の前には平井太郎という青年が現れてヒントはくれるのだが、まだ謎は解けない。
 
 そのうちに原田が密室と思われる状況で殺され、事件は緊迫してくる。政府の手先と思われる輩が龍之介に協力を持ち掛けるが黒幕を明かさないなど龍之介には不信感がつのる。やがてもうひとつの絵「橘下翁帰図」からも暗号が見つかり、これらを合わせて解けばいいことが分かる。
 
 背景にあるのは伊達頼宗と後西院天皇の関係、いずれも当時の徳川幕府によって隠居させられている。龍之介は歴史に詳しい教授や古書店を巡り、徳川時代初期に天皇家と伊達家が組んだ「200年早い明治維新」があったことを嗅ぎつける。歴史の謎に比べると、原田が殺された密室殺人や暗号の解き方は意外性に乏しいものだ。また純粋に日本史ミステリーなのに、ユダヤ民族の話が前面&表紙に出ているのも気になる。芥川の友人として菊池寛が登場するし、ちょい役の平井青年は後の江戸川乱歩である。
 
 非常に面白くて一気に読んでしまったのだが、純粋なミステリーとしては(失礼ながら)及第点ギリギリではないだろうか。それでも、これは名作と思う。この後本書を読まれる皆さんには、決してミステリーとして評価されないようお願いします。