新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

たかが茶道、されど茶道

 本書は加藤廣の「信長の棺」以来連綿と書かれてきた、戦国時代の真実に迫るシリーズの一作。実はこの後には、作者の死去直前に発表された「秘録島原の乱」しか作品はない。75歳で作家デビュー、1年1作のペースで新作を出し87歳での大往生は惜しまれるもののやむをえないかもしれない。

 

 本書では、茶人千利休(当時は宗易)が若き木下藤吉郎と知り合い、深く交友し、亀裂が生じて切腹を言い渡されるまでを、作者なりの解釈で描いている。初章では木下藤吉郎足軽大将、軽輩ながら「茶の湯」を学びたいと茶人を巡るが相手にされない。唯一教えを乞うことにできた利休に、一から茶道の心を学ぶ。その神髄は聞きなれぬ言葉や作法はいろいろあれど、うまい茶を入れて呑むだけのことで、「たかが茶道、されど茶道」と教えられる。

 

 織田家の多くの戦に功績を挙げ羽柴秀吉と名を改めて、彼は茶の湯にも研鑽を積んでゆく。織田信長が本能寺に斃れた時、「中国大返し」で明智軍に挑む前、秀吉は利休を呼んで急ごしらえの茶室をつくらせた。戦に臨むにあたり、旗下の侍大将たちと茶を酌み交わし(場合によっては)今生の別れをするためだ。

 

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 明智軍との戦いに勝ち柴田家も滅ぼした秀吉は、大阪に居を構え全国制覇の道を歩む。しかしこのころから利休の茶道を疎ましく思うようになっていった。それは利休が細かな諸規則を定め、茶室「にじり口」という狭い入り口を設けるなど不便さが目立つようになったからと本書は言う。しかし「にじり口」は、明智軍との決戦の前に秀吉が作らせた急ごしらえの茶室をヒントにしたものだった。

 

 利休は「一点凝縮の美学」や「侘び数寄」を追及したのだが、秀吉はそれに反発する。有名な「黄金の茶室」を作り派手さを競うなど、茶道の世界で利休に逆らう姿勢を見せた。ただ利休の考える「侘び数寄」などは、実は秀吉政権の安泰を願うものだった・・・。

 

 よく知られている故事を並べながら、歴史の常識をひっくり返すのが作者の持ち味。本書でも秀吉・利休の確執に至る経緯は、巷間言われているものとは異なる。サイドストーリーでも興味あるものが多く、例えば本能寺の変の時信長がもっていた「つくも茄子」という茶器が焼け跡からも見つからなかった話などは「信長の棺」を読んだ人には分かりやすいことだろう。

 

 いつ読んでも面白い作者の歴史もの、あと1冊だけになってしまったのが残念です。