新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

民は官より尊し

 僕は、電力会社一家で育った。親父は東邦電力(今の中部電力)入社で、職場結婚だった。伯父もいとこ達2人も中部電力社員である。親父はまだJRが国鉄だったころ、

 

「電力がなければ電車は動かん。しかし鉄道が国有で、電力は民営だ」

 

 と言っていた。なぞかけのような言葉だが、答えは本書にあった。松永安左エ門は95歳で大往生を遂げるまでに、波乱の人生を送った人。慶應を出て商社と日銀にちょっと勤めただけで、あとは会社を作ったり潰したり、時には国会議員もした。その中で、彼の事業はエネルギーに収斂されていく。

 

 ワンマンで頑固な典型的な「明治人」、灯りの需要中心の「電灯会社」が動力を含めた「電力会社」になる流れを見抜き、推進した人である。東邦電力の社長をを経て、日本に多くのエネルギー産業を育てた。2・26事件以降政府(軍部)が電力業界を支配した時期に引退したのだが、戦後「電力事業再編成審議会」で会長を務めている。

 

 多くの委員が電力供給をする国営の「日本発送電」を残し、全国9つの電力会社はその販売を担当する10社案に固執する中、一人で「日本発送電」を解体して9電力会社体制とするよう尽力している。この時、すでに70歳代半ば。

 

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 9電力とするだけではなく、戦後復興~電力需要急増を考え、当面電力料金を値上げして設備投資に回し、10~20年後の経済を支えることを主張した。当然消費者(特に主婦連)から猛攻を受け、政府に働きかけて私腹を肥やす大悪人呼ばわりされた。しかしそれらに屈することなく9電力体制、料金値上げを実現してからも、(財)電力中央研究所を設立して理事長になり、民間シンクタンクのはしりである「産業計画会議」も設立した。曰く、

 

・産業は民間の発奮努力が不可欠、官庁に依存するのは間違い

・政界はあまりにも非効率、実業家の感覚では我慢できない

 

 と「民は官より尊し」と主張し続けた。また人生は奥が深いと、

 

・人間、働き盛りは73歳からだ

・常に人生の白書を描く、20歳には20歳の、90歳なら90歳の白書を

 

 のような人生100年時代を先取りした発言もある。シンクタンクの提言は、エネルギー源の転換・脱税なき税制・道路体系整備・国鉄改革・専売制度廃止から水問題と多岐にわたる。すごい人がいたものだと、改めて感じ入りました。挙げられた日本&産業界の課題は今でも存在しています。僕もまだしばらくは働きたいと思います。