新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ハイテク戦争研究者の戦後

 高木彬光「悪魔の嘲笑」を読んで、「陸軍登戸研究所」の毒薬が出てきたので、本棚を探して本書をもう一度読んでみた。太平洋戦争が終わって30年近くたった1984年に発表された本書は、作者が「陸軍登戸研究所」の生き残りを探して日米のみか中国にまで足を伸ばした労作である。

 

 この研究所の場所は小田急向ヶ丘遊園駅のそば、現在は明治大学生田キャンパスになっている。米国との決戦(というか無謀な戦い)を決意した陸軍が、当時のハイテクを戦力化しようとした研究施設のひとつである。最盛期1,000人が勤務したという組織で、

 

 一科:物理研究 盗聴器・無線機・怪力光線・風船爆弾

 二科:化学研究 毒薬・細菌・秘密カメラ・秘密インキ

 三科:経済研究 紙幣・パスポート・証明書等の偽造

 

 のほかに製造を担当する四科と総務科があった。

 

 作者は特に機密管理の厳重だった、化学兵器・細菌兵器(この中に例のアセトンシアンヒドリンも含まれる)や紙幣偽造を担当しなかった技術者たちに接触し、三科を率いていた山本元大佐にまでたどりつく。山本憲蔵元主計大佐の写真が載っているが、禿頭で老いてはいるが鋭い目つきの人物だった。

 

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 さらに作者は散り散りになったはずの研究所員が、戦後GHQリクルートされていたことも突き止める。米国は日本を占領した後、あまり日を置かずしてソ連と冷戦に入り朝鮮戦争も勃発、毛沢東の中国軍とも戦うことになる。その時に対中、対ソの謀略戦を戦った経験のある研究者は有用だったのだ。

 

 元研究所員の何人かは米国にわたり、持っていた技術で米国の謀略戦に加わった。その多くは日本に戻らず米国で永住権を持っている。彼らの証言から、元研究所員を(ある程度)組織化してGHQやその後の米軍に協力したのは、山本元大佐だったこともわかった。彼はサンフランシスコで米軍人から「コロネル(大佐)」と呼ばれていたらしい。もちろん、登戸研究所で中国やソ連の紙幣・証明書等を偽造していた彼らが、米軍のどんな任務に就いていたかは語られることはない。

 

 二科で毒物を担当していた技術者は、「帝銀事件」について官憲の聴取を受けている。使われたのが、アセトンシアンヒドリンだったからだ。彼らは平沢死刑囚は犯人ではないと思うと口をそろえた。

 

 昭和初期のハイテク戦争研究機関の話、面白かったです。今ならさしずめ「サイバー戦争研究所」というところでしょうかね。