新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

大げさな名前の男

 本書はアガサ・クリスティの「ポワロもの」で、1935年の発表。作者の脂がのりかけたころの傑作と評される作品である。これ以前のクリスティは、「アクロイド殺害事件」のような一発ものを書けても安定した作品群は書けないと思われていたフシがある。そんな風評を払うことになった一作ともいえる。

 

 本書では「ABC鉄道案内」が重要な役割を果たす。すでにそんなものはないのだが、鉄道が早くから発達した英国では、日本の今の時刻表にあたる「ブラッドショーの時刻表」がポピュラーだったが、ダイアグラムを本にしたようなもので素人には読みにくい。そこで、どの駅発どんな列車があるという「ABC鉄道案内」が利用者に受けたのだという。自分の乗る駅がアルファベット順に掲載されていて、何時にどこ行きに乗ればいいかがわかりやすかったらしい。

 

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 本書のワトソン役ヘイスティングス大尉は南アメリカから一時帰国して、ロンドンで旧友ポワロに会っているところに、ABCと名乗る手紙の主から「アンドーヴァに気をつけろ」との警告が届く。果たして指定の日に、その街でアッシャー夫人が殺害され、現場にABC鉄道案内が落ちていた。さらにベクスヒル海岸での予告、バーナードという娘が殺され、チャールストンでクラーク卿が殺された。

 

 ABCは街のアルファベットと名字のそれが合致した人物を襲う、異常者だと思われた。ポワロは3つの現場に、ストッキングのセールスマンが来ていたと判断、警察にその筋を追わせる。浮かび上がった容疑者は、アレキサンダー(大王)・ボナパルト(皇帝)・カストというABCのイニシャルを持った行商人だった。

 

 一方3つの事件の被害者の親族や知己が集まり、クラーク卿の弟フランクリンが資金を拠出して、ポワロの捜査に協力する「特別部隊」が編成される。ポワロはその中に鋭い知能を持った人たちがいることを知って、一計を案じる。

 

 高校生のころ読んで、ポワロの解決に仰天した記憶がある。ミステリーの女王の見事な背負い投げを食らったような気がしていた。さすがに結末を知っているだけに驚きは少なかったのだが、読者を惑わすミスディレクションは(再読したからだが)勉強になった。それにしても、本来は短編に仕上げるくらいのアイデアを、300ページあまりに引き延ばすテクニックはすごいと思いました。