「ウィチャリー家の女」「さむけ」などの正統派ハードボイルドで知られるロス・マクドナルド晩年の作品が本書(1973年発表)。このあと「ブルー・ハンマー」(1976年発表)という作品があるが、1983年に亡くなった。享年67歳。
ハメット・チャンドラー・マクドナルドという系列で論じられることが多いが、この中では最も本格ミステリーに近い内容の作品群を残した人だ。主人公の私立探偵リュー・アーチャーは、元警官。正統派ハードボイルドを、生島治郎は「感傷的な話でありながら主人公はそれに溺れず、自身の生き方をかたくなに守り続けること」と定義している。リュー・アーチャーはこの定義にぴったりしたストイックな行動をする。
カリフォルニア沖で海底油田の事故があり、沿岸が油にまみれた。死に瀕する海鳥を抱えて泣く女ローレルを、アーチャーは助けて自宅に連れ帰る。しかし彼女は睡眠薬の瓶を持って行方をくらませてしまう。彼女は事故を起こした石油王レノックス家の孫娘。夫のトムとアーチャーが行方を探すうちに、父親で石油会社の副社長ジャックのところに「ローレルを誘拐した」と身代金要求がやってくる。
ジャックは十万ドルを用意して指定の場所に行くのだが、誘拐犯らしき男と撃ち合いになり重傷を負ってしまう。容疑者も傷を負ったようで、アーチャーの捜査で10歳代のころローレルと「駆け落ち」した男ハロルドに容疑ががかる。しかし事件の背景には、25年前トムの母親が何者かに射殺された事件と、その容疑者たちが沖縄沖の航空母艦で遭遇した火災事故があって、複雑な様相を呈してくる。
レノックス家やその姻戚関係の家庭は例外なく「壊れて」いて、親子ほど年の違う再婚相手や愛人関係など極めて複雑。そんな関係者をストイックに激することなくアーチャーが問い詰めていく。作者は太平洋戦争当時海軍の通信将校だったが、沖縄沖の航空母艦内で起きたことなどその当時の知識が生かされている。
ローレル、その母親、伯母、祖母といった「レノックス家の女」たちの戦後25年間の思いが、事件の悲劇性を際立たせている。正直読み通すのが辛い440ページで、結末も救いがないのですが、これがマクドナルド流のハードボイルドということです。