新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

護られている人々

 政府の政策会合の常連である東洋大学の竹中教授には、時々薫陶を頂くことがある。巷では「小泉・竹中改革で非正規を増やし、自ら人材派遣会社のTOPに就いた」と非難されることもあるが、僕は全くの言いがかりだと思っている。それは、お話を聞くときいつも「護られ過ぎている人がいる」と仰っているから。え、誰が?という質問に対する答えの大半は本書にある。

 

 まず示されたのは1979年の東洋酸素事件、同社がある部門を閉鎖し当該従業員を整理解雇した事件だ。東京高裁は整理解雇が許される条件として、必要性・公平性・手続きの妥当性など「4要素」を挙げた。これによって以後、正社員の解雇へのハードルが高くなり「護られすぎ」の傾向がみられるようになったと本書は言う。いったん正社員を増やしてしまうと事業環境が変わった時に対処できないかもしれないので、企業は派遣社員を使い始めるわけだ。だから正社員の過度な権利をなくせば正社員が増やせるわけで、こういう報道にはあまりお目にかからない。

 

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 続いては、1955年の農地委員会解散に関する損害賠償請求に対する最高裁判決。県知事等が訴えられたのだが、公務だったとして個人への賠償請求は認められなかった。業務上とはいえ民間人が何らかの損害を他者に与えたら、個人で賠償することの方が多い。これに対して公務員の場合は民法ではなく国家賠償法の対象となって「護られる」可能性が高くなる。本書はこれを「公務員バリア」と呼んでいる。

 

 さらに一番「護られている」のは裁判官、1998年の「T裁判官分限事件」で最高裁が下した判断。T裁判官は「裁判官ムラの掟」に背いて新聞に投書し、最終的に戒告されたというものだ。これは逆説的だが、閉ざされたムラの掟に従っている限り「護られている」というのに、である。これらの矛盾を指摘した後、裁判所の改革として本書は7点挙げている。

 

最高裁裁判官の国民審査の改善

最高裁裁判官の増員

最高裁の補助スタッフの民間登用

・職業裁判官に「外部」経験させる

・裁判例に「耐用年数」を導入

偽証罪の摘発

・裁判所支持率の導入

 

 確かに国民審査と言われても、まるきり知らない人ばかりなので判断のしようがない今の制度はひどいと思う。他にも「ムラの掟」に囚われなくする工夫が認められるし、「耐用年数」は出色だ。社会がどんなに変化しても100年前の判例によると・・・では困りますものね。