新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

第二次欧州大戦の前哨戦

 1936年から3年間、スペイン全土で戦われた共和国軍と反乱軍の戦い。諸説あるが数十万人の犠牲者を出し、数多くの悲劇的なエピソードを生んだ戦いである。本書(1986年発表)は、スペインの歴史家ピエール・ヴィラールが80歳の時に書き下ろしたもの。フランコ総統が亡くなったのが1975年で、その後10年を経なければ発表できなかった理由は何だったのだろうか?

 

 第一次欧州大戦が終わり、各国は近代化に向かって動き始めていた。ドイツでは最も民主的と言われた「ワイマール憲法」が施行されていたように、帝政・王政が廃され、政教分離が進んでいた。しかし、スペインはその波に乗り遅れたと本書は言う。見かけは共和国だったが、貴族はそのまま大地主となり軍人や聖職者の権威はそのままだった。加えて、多くの民族が言葉も通じない状態で混じりあっていた。その歪みは、右派のフランコ将軍率いる反乱軍の蜂起となって現れた。

 

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 蜂起の当初、西のエリアを基盤とする反乱軍は経済力も兵力も劣っていた。しかし共和国軍はしっかりとした芯のない、内紛ばかり続けている烏合の衆だった。共和国は共産党も大きな力を持つが、真の民主勢力も少なくなかった。政治的にすでに烏合の衆だったことになる。マドリード攻囲戦など、局地戦ではある民族・集団の頑張りで優位に戦いを進められても、全体戦略などあるはずもなく結局敗れ去った。フランコ将軍はマドリード攻略が容易でないと悟ると、さっさと北部バスクなどに狙いを変えて成功した。面白かったのは、他の欧州諸国のこの内戦への対処である。

 

・イタリア ムッソリーニファシスト系のフランコを応援するためもっぱら政治目的で陸軍などを派遣

・ドイツ ヒトラーファシスト支援ではあるが、航空・装甲部隊など新戦力の実験や訓練のために兵力を派遣

・イギリス 反共でフランコへの傾倒が大きかったが、結局不介入に終わる

・フランス 共産党への傾倒がそれなりに強く、共和国への支援をしたが、派兵はせず国境封鎖のみ

ソ連 共和国支援のため、航空・装甲部隊などを大規模に派遣、初期の「電撃戦」までして見せた

 

 この戦いは外交戦の結果、第二次欧州大戦の枠組みを決めたように見えます。フランコ将軍後の総統は、したたかな人物だったようで、2人のファシスト仲間が死んだ後も30年にわたって元首であり続けました。前第二次欧州大戦史、とても面白かったです。