新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ちょっと変わった倒叙推理

 本書は、2ヵ月前に紹介した大谷羊太郎の「八木沢刑事もの」の一編。作者はトリックメーカーとして知られ、奇抜な手法のミステリーを多く発表している。この多くというのが曲者で、日本の近代ミステリー作家は多作が過ぎると僕などは思う。かって精緻な本格ミステリーを希求し続けた土屋隆夫などは、大家だが長編は14冊しか残していない。

 

 比較してはいけないのだろうが、赤川次郎は3,000冊を超えているし、内田康夫は約1,500冊、西村京太郎も600冊ほどだ。ひょっとするとこれほどの大家でも、書き続けないといけないほど著作権料が低いのだろうか?

 

 それはともかく、トリックメーカーで売り出した作者にとって多作を強いられるのは大変な苦労だったと思う。本書も書き下ろしで文庫になるという、ひょっとすると出版界の「消耗品」のような扱いを受けていたのかもしれない。その苦労が、本書の事件設定に深くかかわってくる。

 

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 最近売り出し中の推理作家哲村玲次郎は、奇抜なトリックの作品を立て続けに発表して文壇での存在感を増している。しかしその執筆の仕方は厳秘とされ、厚いカーテンの部屋でしか執筆をしない。どんな編集者にも書いているところを見せないという。

 

 そんな彼が自宅で殴り殺されたのだが、致命傷を食らってからもしばらくは生きていたようで、電話を握って死んでいた。捜査に当たった八木沢は、推理作家がダイイングメッセージも残さずに死を迎えたことに疑問を持つ。一方容疑者として浮かんだのは、哲村と同じ美女を争っていた青年浅田と、憎み合う二人の中間に位置していた青年深井。浅田と深井は同じ個人企業の2事業部門の責任者としてライバル関係にあった。

 

 不思議なのは犯行時刻と思われるころ、浅田も深井も不在証明を2つづつ持っていたということ。特に深井は、ほぼ同時刻に東京駅と熱海のリゾートマンションの2ヵ所で目撃されている。トリックメーカーの名に恥じぬスタートで、電話・原稿・金庫・写真等々アリバイ工作のネタが次々に現れる。僕のようにヒネた読者は作者の罠を感知しながら読み進むのだが、作者は大仕掛けで待ち受けていた。

 

 中盤で突然「倒叙推理」になってしまうのだ。哲村が奇抜なトリック作りに苦しんでいたことや、浅田と深井の悩みも暴露されてしまう。最後は作者らしいどんでん返しもあるのだが、本格か倒叙かその中間のような珍しい作品でした。