1年ほど前、「ウィーンの密使」を紹介した藤本ひとみの、同じくフランス革命前後を舞台にしたミステリー。事件が起きたのはベルギー国境に近い北フランスの街アラス。この街は、1940年ロンメル将軍の「幽霊師団」が電撃戦を繰り広げたという歴史しか、僕は知らなかった。
アラス生まれのヴィドックという男は13歳にして剣の達人という悪童で、司直に拘留されていたが密偵として活躍するようになり、後に刑事となる。しかし警察でもトラブルを起こして退職、史上初の私立探偵社を設立している。フランス革命後の社交界では有名な人物となった。例えばビクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」に出てくるジャベール刑事は、ユーゴーが知人のヴィドックをモデルにしたとも言われている。
本署(1998年発表)は、作者が得意とする歴史ものでかつ検視官が登場するミステリー。当時の貧困層の生活実態が生々しく語られる。ルイ王朝のフランス議会は三部会制度、僧侶が第一身分、貴族が第二身分、農民や平民は第三身分として別々の議会を構成していた。平民の中にも格差があり、貧困層の暮らしは本当に悲惨なものだ。題名となっている「聖アントニウスの日」は月曜の夜を指す。
街の底辺にいる職人などは、日曜日には安酒場で酔いつぶれる。月曜日は立つことも出来ず仕事をさぼり、また酔いつぶれる。困った女房たちが酒場から亭主を引きずり出すのが月曜日の夜。当然その夜は犬も食わない夫婦喧嘩となり、血が流れることもある。アラスの街では1月と4月の月曜日の夜に、年端もいかぬ幼女が首を絞められ下半身を滅多突きされて殺されるという事件が起きる。
さらに6月の月曜日にも三人目の犠牲者が出て、アラス警察のジョルジュ主任警部はパリの拘置所にいるヴィドックという少年を密偵として探索に当たらせることを決める。アラス生まれでここの裏社会に詳しいヴィドックの案内で、ジョルジュ警部自身も浮浪者の扮装で捜査に当たる。
平民の中でも富裕層に生まれ何不自由なく育ったマーダァ姉妹が、ふとしたことから転落し最下層の暮らしをする姿が痛々しい。彼女たちの地獄のような暮らしが、事件捜査と並行して描かれ作品に厚みを増している。
実在の人物ヴィドックの少年期の活躍とフランス革命前夜の庶民の日常、とても面白かったです。ミステリーとしてよりも歴史小説として評価すべきだと思いました。