本書は以前紹介した高木彬光の「百谷泉一郎&明子」ものの1冊で、1966年に7ヵ月にわたって「週刊大衆」に連載されたものである。全330ページほどだから、連載の各回に10ページほどの長さで掲載されていたのだろう。その10ページはある種の短編のようなものだから、大きな流れを追うのはもちろんのこと、その中にも「起承転結」的なものがあって独立の読み物になっている必要がある。
これが「神のごとき名探偵」神津恭介となると、30回も謎解きをさせることは難しい。しかし辣腕弁護士ではあるが一般人でもある泉一郎なら、何度か危ない目にあっても切り抜ければいいので本格&サスペンスものなら連載は成り立つわけだ。
高名な海軍軍人を父に持つ信吾は大手電機メーカーの営業マン、同じく海軍軍人の父を持つ慶子と婚約を前提に付き合っている。慶子の父親も大企業の社長だ。前途洋々たる彼だが、ある日悪い女にひっかかって全身入れ墨の女と絡み合っている写真を撮られてしまう。その写真やネガを取り戻そうとするあまり、一人で「熱海マンション」に出かけた彼は、その女を殺した容疑者にされてしまう。
犯罪社会に詳しくない信吾に、ベテランの探偵社社長の鈴原が教え諭すプロセスが興味深い。科学と論理一辺倒で作品を作ってきた作者が「白昼の死角」以降、犯罪組織の生態や金づる、種々の手口を研究し、そこにどういう人種が住んでいるかを知ったうえで「百谷泉一郎&明子」シリーズは成り立っている。
特に本書では「麻薬取引」の実態が細かく紹介されている。これに日中戦争当時の日本軍が大陸に残してきたものや、夜の街に蠢く女たち、そして江戸文化の名残となった刺青師などが登場して物語を立体的にしている。
物語の半分が熱海でのこと、泉一郎が言うように「こだまは何本もあるから」便利なのだが、そこは東京とは別世界。殺人の舞台となる「熱海マンション」や泉一郎が宿泊する「ニュー熱海ホテル」もモデルは思いつくし、そこに出入りするリゾート族の生態は50年以上たった今でも大きく変わっていない。
今回は妊娠が分かったということであまり表に出てこなかった「兜町の女将軍」明子も、しっかり夫を支えています。神津恭介ものとは一味違うこのシリーズ、久しぶりに読みました。