先月「軍艦メカ開発物語」で日本海軍の制御技術について勉強した話を紹介した。本書は同じく土木工学についての好著である。著者は日本大学工学部土木工学科を卒業し太平洋戦争中の1942年に海軍施設系技術士官の第一期生として任官している。終戦時、海軍技術大尉。戦後は鹿島建設で、日本の復興を支えた人である。
本書の前半は、ニューギニア戦線における著者自身の戦闘記録。海軍設営隊を含む十数万の日本軍兵士はニューギニア島に取り残されるが、設営隊らソロン海軍部隊は団結して危機を乗り切り帰還を果たす。その時の教訓は、
・ニーズを痛感したらすぐ(上官の命令など待たず)実行
・全員差参加(団結と相互信頼)で知恵と実行を
・リーダーシップと上下の固い信頼
だという。これは平時・非常時の会社経営にも通じる言葉だろう。
僕が興味をもったのは、後半の「海軍築城設営戦の真相と反省」。僕らは歴史として占領した島嶼での航空基地建設に、
・日本軍はツルハシとモッコ
・米軍はブルドーザーという新兵器
で戦い、後者が勝ったと教えられてきた。それは間違いとは言えないのだが、真相はもっと深いところにあるというのが本書の教え。例えば日本海軍が設営技術士官を採用したのが戦争が始まってからというのが、すでに海軍の準備不足を現している。戦前も「築城」は考えられていたのだがそれは「恒久施設」の設営のこと。米軍の「Sea Bees」のような応急施設建設・野戦築城は考慮していなかったのだ。さらにいうと、大規模な島嶼占領戦を戦うつもりはなかったことになる。
もちろん設営用の器材や機器(例:スクレーパー、ブルドーザー)についても、「兵器」ではないとして研究開発への支援や産業保護は全くなされなかった。筆者らが前線で手にしたこれらの機器も、米軍の鹵獲品を模造したものばかり、性能も耐久性も不十分だった。
要するに「日本海海戦」のような艦隊決戦で決着がつくという考えで戦略が練られていて、航空機・航空基地・それへの補給といったものに資源(ヒト・モノ・カネ)が廻ってこなかったのだろう。
改めて時流を見た戦略の重要性を認識したのだが、面白いエピソードをひとつ知った。敗戦から半月と経たない8月28日、海軍施設系と運輸省地下建設本部が合体して運輸建設本部が設立されていること。戦後復興に寄与したこの機関は、今の国交省にも生きていますね、きっと。