新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

戦場を制したもの(~1942.1)

 第二次世界大戦、特に欧州大戦の陸戦の花形は「戦車」だった。実際に戦場を制したものとしては「砲兵」が挙げられるのだが、撃つ方からしてみれば戦果がどれ程挙がったかは後にならないと分からない。戦車戦なら、目の前の戦車が煙を吹けば勝ったと分かる。本書には第二次欧州大戦の開戦から1942年始めまでの、19の陸戦の記録が収められている。加えて序章として第一次世界大戦アミアンでの独仏の戦車戦(世界最初の戦車対戦車の闘い)もある。区分すると、

 

第一次世界大戦 1

・ドイツ軍のポーランド侵攻 1

・独仏国境、ベルギー戦線 4

北アフリカイタリア軍 1

北アフリカロンメル軍団 4

・バルバロッサ作戦ソ連侵攻 7

・厳冬のロシア戦線 2

 

 となっている。1941年の時点で、最良の戦車を持っていたのはソ連だったことがわかる。これは別ブログで各国の戦車を比較した記事をいくつも書いているので、そちらを参照いただいてもいいだろう。

 

https://nicky-akira.hatenablog.com/entry/2019/07/21/060000

 

 ドイツ軍は初期にはⅠ号/Ⅱ号戦車が主力で、主砲は最大20mmでしかない。(本の表紙の写真がⅡ号) 後にⅢ号戦車が主力となるが、50mm主砲が標準。75mm砲を積んだⅣ号戦車は砲兵のような後方支援用だった。これに対しソ連はT26やBT7のような旧世代戦車から、T34/76やKVⅠへの切り替えが始まっていた。主砲は76mmである。

 

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 バルバロッサ初期ドイツ戦車隊はリトアニアで1両のKVⅡに遭遇し、多大の出血を強いられる。当時最強の対戦車砲88mmをも半分以上ハネ返し、主砲は152mmである。そういう強敵に逢いながらもドイツ戦車隊がモスクワなどに迫れたのは、ソ連戦車兵の練度が低かったから。開戦半年ほどたってソ連兵の練度が上がると、簡単には行かなくなった。

 

 一方の北アフリカ戦線、戦車もひどいが兵士もひどいイタリア軍は、1/10ほどの規模も英軍に蹴散らされる。しかしロンメル軍団がやってくると英軍戦車の能力の低さが露呈、逆に追い立てられる羽目になる。こうしてアフリカでもロシアでもシーソーゲームが始まったのが1942年という時期、日本が参戦して欧州戦線にも米軍がやってくるようになり、第二巻に続く。