以前「動く標的」などを紹介したハードボイルド作家ロス・マクドナルド。彼の本名はケネス・ミラー、本書「狙った獣」の作者マーガレット・ミラーの夫である。二人は高校時代から知り合いだったが、マーガレットは市会議員の娘。ケネスにとっては高嶺の花だった。しかし後年ロンドンで偶然出会った二人は結婚し、ある種の共作活動を始める。ケネスがプロットをマーガレットが文章を担当したが、結局個別に作家活動に入る。
本書(1955年発表)は、二人ともに脂ののっていたころの作品。マーガレットは、アメリカ探偵作家クラブ賞を本書で受賞している。解説によると作者の文体は、「詩」の響きを持っているという。翻訳では味わえないところが残念だ。
30歳の独身女性ヘレンは父親からの莫大な遺産を相続し、ハリウッドのホテルのスイートを買って暮らしている。母親と弟は実家に残っているが、遺産は彼女がほとんど独占したので二人の暮らしは豊かではない。お金を欲しがる母親と無気力な弟に愛想をつかしたヘレンは、ほぼ1年二人と会っていない。
そんな彼女のところに、昔馴染みだというエヴリンが電話をしてきた。最初は優しくしかし徐々にテンションを上げたエヴリンは脅迫に転じ、水晶玉にヘレンの惨殺死体が映っていると捨て台詞を吐く。困ったヘレンは、父親の資産管理を頼んだ投資コンサルタントであるブラックシアに、エヴリンを探してくれと依頼する。
まさにリュー・アーチャーのような私立探偵の出番なのだが、専門外だと断るブラックシアもやむなく「事件」を引き受けエヴリンを探し始める。エヴリンは絵のモデルをしているというのが手掛かりだったが、画家や写真家を巡るブラックシアは、エヴリンが行く先々で関わりあった人を脅し不和をばらまく異常者だと知る。しかもヘレンの実家とも過去に深い関係があったことも分かってくる。
ローレンス・ブロックの「サイコ」などサイコサスペンスの中でも、本書は強烈な印象を残す「古典」作品と言っていいだろう。ヘレン一家だけではなく壊れた/壊れそうな家庭がいくつも出てきて、戦後のアメリカの暗い世情を表現している。異常心理の世界を描いた作品はこの後続々出てくるのですが、多重人格や同性愛などを真正面から捉えた本書は、それらに道を拓く役割を果たしたのだと思います。