新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

満州鉄道の時刻表

 日本に本格的なアリバイ崩しミステリーを定着させたのが、鮎川哲也とその創造した探偵鬼貫警部である。後年日本の鉄道の正確さもあって、西村京太郎の十津川警部や津村秀介の浦上伸介らがアリバイ崩しものを多数発表し、日本に固有のジャンルを確立することになる。本書(1949年発表)は作者と鬼貫警部の記念すべきデビュー作である。戦後の推理文壇の代表誌「宝石」が主催していた懸賞に応募し、第一席で入選している。

 

 作者は少年期を、日本支配下の旧満州で過ごした。父親が満州鉄道に勤務していて「家族優待パス」があったせいで、鉄道が好きになり旅をたくさんしたらしい。太平洋戦争中に内地に戻ったが、本書の最初の原稿は空襲で燃えてしまったらしい。

 

 舞台は旧満州、北はハルビン、南は旅順までの鉄道地図が巻頭にある。巻末には1942年に(社)東亜旅行社満州支部発行の「満州支那汽車時刻表」まで添えられている。遼東半島の大連~旅順の中間駅「夏家河子」近くの邸宅で、富豪の白系露人の老人が射殺された。駐在は日本人と中国人、いずれもロシア語は話せないので大連の警察署から派遣されたのがロシア語堪能な35歳の鬼貫警部だった。

 

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 被害者のペトロフ老人は独身で、2人の兄弟はロシア革命で亡くなっている。身寄りは3人の甥だが、いずれも金に困っていて容疑がかかる。ただ3人とも鉄壁のアリバイ(旅順で観光、水市営で商用、ハルビンから大連に向かう途中)を主張して捜査は行き詰まる。

 

 作中、ハルビン~大連間の鉄道の車窓の描写がある。急行列車が最高時速130km/hで走っても、18時間もかかる道のり。そこには一つのトンネルもなく、黄色い大地が広がっているだけ。鬼貫警部がロシア人容疑者と、旅順要塞跡を見て回るシーンもあった。北方系中国人と日本人が住民だが外国人も割合多く、その7割は白系露人(共産主義革命に反対して国を出た人たち)だという。

 

 広大な土地に几帳面な日本人が走らせる満州鉄道、容疑者の使った切符や市松模様の手荷物など、後年の作者の作品を想起させる舞台装置ばかりである。作中のそこかしこにあるロシア語はさっぱりわからないのだが、気分はもう旧満州である。

 

 いや、初めて外国(?)の時刻表でのアリバイ崩しに挑戦しました。日本のアリバイ崩しものの原点が中国大陸にあったとは・・・。すごいサプライズでしたね。