1962年発表の本書は、心理スリラー作家マーガレット・ミラーの代表作。普通小説も含めて25冊ほどの長編を遺した作者の作品は、以前「狙った獣」を紹介している。彼女の円熟期と呼ばれるのが1960年前後で、そこで発表された最後の作品が本書である。
舞台はネヴァダ州の砂漠、歓楽の街リノから文無し状態で流れてきた私立探偵のクィンは、田舎町外れの<天国の塔>に棲む宗教集団に救われる。「大師」と呼ばれる教祖風の男は地獄の話ばかりして一般人には嫌われているが、集団内ではカネを含めて強固なガバナンスを構築している。出家して「尼」や「修士」を名乗る男女も、教祖に丸めこまれるくらいだから、どこか精神疾患のあるものばかり。しかしその中の「祝福尼」という女性から、クィンは人探しを依頼される。
依頼料は子供から送金されてきた$120で、彼女が教祖に隠れて持っていたものだ。依頼を引き受けたクィンは田舎町でその男パトリック・オゥゴーマンを探すのだが、マーサという妻が現れ「5年前に殺された」と告げる。オゥゴーマンはある企業の会計係で、不正経理を見つけて告発しようとして殺されたらしい。事件の容疑者は捕まっているのだが、カネそのものは行方不明だ。
狭い田舎町の事、オゥゴーマンの事件を調べ始めたクィンに街の人の反応は冷たい。一方「祝福尼」は彼が殺されたと言っても信じようとしない。それどころか事件のことにも関心を持てないくらい、「ハイ」な状態になってしまっていた。
全体の3/4までは、田舎町と<天国の塔>を往復するクィンが、街や塔の人達と繰り返し会って益の無い努力が続くだけで、解説に言う「代表作」とはとても思えない。しかし残り100ページになって、塔で街の不動産業者の男が殺され「祝福尼」が毒を盛られる事件が起き物語が動き出す。
心理スリラーと私立探偵ものの融合と解説は褒めているが、確かに前段の何気ない会話の中に事件のカギや動機が隠れている。技術的にはある種の「伏線」なのだが、アリバイ崩しなどと違って、解決篇を読んだ後でも「ああ、あの時の会話ね」などと思い出せるものは少ない。ひとつには、僕がキリスト教に縁遠い異教徒だからかもしれない。
ただ1960年の時点で米国に蔓延していた「重苦しい不安感」というものは理解できました。「狙った獣」にもその兆候はあったのですが、本書ではそれが真ん中に据えられていましたね。