新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

オリジナルにあたる歴史研究

 今年になって「米国ソラリウム委員会が、中国のサイバー攻撃によって米国の被害は3,000億ドルに達する」とした記事を議論していると、委員会(政府の権威ある機関)は金額まで出していなかったことが分かった。委員会レポートに「大紀元」というメディアが金額を載せて流布したらしい。検討会メンバー同士で「資料はオリジナルにあたらないとね」と反省した次第。

 

 本書(2001年発表)は、中国現代史が専門の北村稔教授の著書。いわゆる「南京大虐殺」について、オリジナルの資料を丹念に読み込み実態はどうだったのか、それが「死者30万人」とされるようになったのは何故かを探求した書である。日中戦争が勃発した1937年、開戦5ヵ月で日本軍は国民党政府の首都南京に入城する。国民党蒋介石重慶に撤退し、日本軍は12月に無血入城を果たしたわけだ。その冬、南京市内及び周辺で日本軍による中国兵や一般市民を大量虐殺したというのが、事件の通説。多くの中国人はこれ(30万人が犠牲)を信じ、日本の有識者も、

 

・大量虐殺はあったとする「虐殺派」

・戦後の軍事裁判ででっちあげられたとする「まぼろし派」

・類似の事はあったが1~2万人ほどとする「中間派」

 

 に分かれるという。

 

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 筆者は、事件当時現地にいた英誌記者ティンパーリーの記事「What War Means」の英文はもとより中国語訳まで読み込んで、その実態を探った。この記事は極東軍事裁判でも採用され、大量虐殺の証拠とされるものだが、

 

・ティンパーリーは、30万人はおろか虐殺があったとする記述はしていない。

・南京市街には日本軍による「安全地帯」があり、比較的平穏と書いている。

・しかし記事の中国語訳には、原本にない日本軍の残虐行為を示す写真がある。

・彼自身国民党政府のスポークスマンであり、戦後蒋介石政権の顧問になっている。

 

 という。統計資料によると日本軍入城当時、政府の遷都によって南京の人口は25万人に満たなかったともある。やはり極東軍事裁判で日本軍(人)を糾弾するために膨らませた「30万人」のようだ。もちろん軍服を脱いで市民に紛れた元政府軍兵士を、ゲリラとして捕え処刑したことはある。しかし市民への暴行や略奪は、軍規として取り締まっていた。

 

 太平洋戦争末期、暴行略奪を許した「三光作戦」が展開された地区もあります。日本軍を褒めることは出来ませんが、冤罪は晴らしてあげたいと思いますね。