本書は歴史小説の大御所池波正太郎の手になる、その後の真田家の物語である。以前紹介した「真田太平記」全12巻は、11巻目でクライマックスともいえる「大阪夏の陣」が終わり、12巻は徳川方として生き残った真田信之が、信州松代10万石の基礎を固める話だった。年代としては1622年までである。
大御所家康公が亡くなり、2代将軍秀忠の代になると真田家への風当たりは強くなった。秀忠は関ケ原の合戦の折、信州上田で真田昌幸・信繁(幸村)父子にあしらわれ、徳川家の主力部隊を合戦に間に合わせることができなかった。関ケ原では運よく勝てたものの、父家康にはこっぴどく叱られたらしい。
そんな恨みもあり、加藤清正・福島正則ら武闘派大名を粛正する幕府の方針もあり、真田信之も窮地に立つ。しかし信之は歴戦の知略を駆使して、10万石を安泰に導き善政を布いて領地を栄えさせたというのが「太平記」の由来である。
なぜ「太平記」なのか? - 新城彰の本棚 (hateblo.jp)
本書はその後日譚にあたる。時は1656年「信濃の獅子」と呼ばれた信之もすでに93歳(!)。家督は次男(63歳)に譲ったのだが、その次男が急死してしまう。直系の孫右衛門佐はまだ1歳、しかし分家沼田城主である庶子系の孫信利(24歳)は、贅沢しかしらぬ放蕩もの。家老たちも右衛門佐か信利かで、2派に分かれてしまった。
当時の徳川政権は、秀忠はもちろんその子家光も亡くなり、4代家綱の時世。まだ若い家綱のお覚え目出度く権勢をほこるのが老中酒井雅楽頭。信利の妻が雅楽頭の縁につながっていたことから、信利に家督を継がせるよう圧力を掛けてくるのは目に見えていた。
しかし領民の田植え歌を聞くのが一番の楽しみである信之は、信利では真田家は凋落すると憂える。信之は老骨に鞭打って家中の意思統一を図るのだが、雅楽頭は長く真田家に潜ませていた隠密を使って、家中の切り崩しを図ってくる。ただ信之にも、85歳になる老臣鈴木右近が指揮する「Counter Intelligence」部隊があった。
事件を収め死の床に就いた信之がもらす一言、「世間は儂を名君という。領主は名君でなくてはならぬのだ」が、現代社会にも通じる重い言葉だった。思わず手に入れた「真田太平記の13巻目」とても面白かったです。