新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

新聞の劣化と週刊誌の矜持

 今年初めには総務省(旧郵政省)の複数の幹部が吹き飛ばされてしまった「文春砲」、その件に限らずスクープ記事を連発しある種の人達を戦々恐々とさせていると思う。その「週刊文春」が常に目標としてきたのが「週刊新潮」、その2誌の考え方や取材方法、過去のスクープなどをまとめたのが本書。「文春」の元編集長花田紀凱氏と「新潮」の元編集長門田隆将氏が対談する形式で、2018年に発表されたもの。

 

 過去のエピソードとして、週刊誌が既存の権力(朝鮮総連共産党創価学会統一教会国鉄労働組合等)との闘いや、思いがけない事件(疑惑の銃弾:三浦和義事件・坂本弁護士一家失踪:オウム事件等)を取り上げている。それらの扱いとして、週刊誌には3つの記事の書き方があるという。

 

・積み上げ型 些細な事象を長い時間かけて積み上げ、方向性を示す。

・真相究明型 いわゆるスクープ、隠された事件・事実を暴露する。

・溜飲系記事 論評もので、読者に「なるほど腑に落ちた」と言わせる。

 

 これは勉強になった。僕もブログを書くときに、この3種を意識したい。

 

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 300余ページ全編を貫くのが、メディアの矜持。この(2018年)時期、安倍一強と言われる政治情勢で、メディアはこぞって「安部叩き」をしていた。特に劣化の激しい朝日新聞(と名指し)は、事実を曲げて報道を繰り返し、TV(朝日系のニュースステーションなど)も動員して糾弾し続けたとある。押し紙(部数の水増し)を除けば、すでに400万部を割って経営が苦しくなった朝日新聞は、安倍叩きで延命を図っているという。

 

 これに対し週刊誌は、是は是、否は否と、真実を報道することの矜持を保ちたいと両者は言う。もちろん経営が苦しいのは新聞以上の面もあるのだが、報道の基本を忘れては存在意義がないとのこと。

 

 新聞と週刊誌の取材の違いというのは、津村秀介(元新潮記者)のミステリーでよく出てくる。事件の周りで情報を集め、それが解決しなくても何らかの記事には出来るというのが週刊誌。登場人物の毎朝日報谷田キャップが「なるほどそれが週刊誌ね」と言っていた。新聞記者は流れてくる情報を削ってコア部分にし、短い記事で読者に伝えるのが仕事。一方週刊誌は多くの情報を集めて、組み合わせることで価値を生む。

 

 筆者は最後にネットメディアにも触れ、「ウラをとるのが難しい」と仰っています。週刊誌は死なず・・・ということでしょうね。