新城彰の本棚

ミステリー好きの自分勝手なコメント

ブルームズベリーの古いアパート

 以前「名のみ知られた名作」をいくつか紹介した。書評に「名作」とありながら、絶版になっていて普通の書店では手に入らないミステリーたちである。例えば、ヘレン・マクロイ「幽霊の2/3」とロジャー・スカーレット「エンジェル家の殺人」を手に入れた嬉しさで記事を書いた。
 
 本書も名前は知っていた。「私が見たと蝿が言う」は、ヴァン・ダイン「僧正殺人事件」でも使われたマザーグースの1フレーズ。「僧正殺人事件」の解説欄に本書のことが触れてあった。以前紹介した「トビー&ジョージ」の作者エリザベス・フェラーズの作であることは分かっていてしばらく前にBook-offで見つけたのだが、表紙がユーモアミステリーっぽいのですぐには買わなかった。モチーフが童謡だし、ポップな表紙を見て触手が伸びなかった。
 
 見つけて約1ヵ月、その店に何度通っても売れていない。なんとなく可哀想に思って、買ってみた。そして読み始めたのだが、童謡+ユーモアという印象はすぐに吹き飛んだ。ロンドンのブルームズベリー地区と言えば、ロンドン大学大英博物館がある瀟洒なエリアという印象だが、戦争が近づく1939年その一角に貧しい人たちが住む安アパートがあったという設定である。
 

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 その一室に住むデザイナーのケイは、別居中の夫との離婚を考えている。ケイの隣室に越してきた女性がガスの配管工事を依頼すると、床板の下からリボルバーが出てきた。警察の捜査では、隣室に以前住んでいた女性が射殺死体で見つかっていて、その凶器がくだんのリボルバーであることがわかる。
 
 4室しかない古いアパートの住人と、大家、管理人の中に犯人がいるのではとの疑いがかかり、彼らは素人探偵と化して勝手に推理を述べ合う。このあたり悪臭と騒音に包まれた古アパートが舞台になっているだけで、富豪の屋敷で親族がお互いを犯人ではないかと猜疑心を剝き出しにする話とシチュエーションは変わらない。「蝿」のフレーズも物語の半ば過ぎにちらりと出てくるだけで、童謡をベースにしたユーモアミステリーでは全くない。
 
 事件から3年後、その一角がドイツの空襲で廃墟を化したところでケイは捜査官のコリー警部補と再会する。そのシーン(20ページ)のサスペンスは出色である。本書は立派な本格ミステリーでした。表紙で「書」を選んではいけないですね。